【北福岡】ごく普通の中学で全国3位の“偉業” 地域の星だった九州国際大付・三好

[ 2018年7月27日 08:00 ]

第93回大会2回戦   九州国際大付2―3関西 ( 2011年8月11日    甲子園 )

<関西・九州国際大付>2回戦敗退し、甲子園の土を拾う、九州国際大付先発・三好(中)と高城(右)
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 延長12回までもつれた。九州国際大付はこの回から投手をエースの三好匠から2年生の大江遥にスイッチ。だが1死一、三塁から打たれた内野安打で、サヨナラ負けを喫した。同年のセンバツで準優勝。夏は優勝への期待も高かったチームだった。

 残念だったが、卒業して十数年。甲子園で母校を応援という貴重な経験をさせてもらえたので印象深い試合だ。何より三好選手は小、中、高がまったく同じ後輩にあたる。直接の面識はないが、勝手に親近感を持っている。

 実家に戻ると同じ町内会である彼のウワサは、彼が中学の頃から聞こえていた。今、中学に野球ですごい子がいる、と。実際、三好の投打にわたる大活躍で、地方のごく普通の公立中学の部活の軟式野球部が、全国大会で3位になった。おそらく、もう二度とないくらいの偉業だ。

 高校進学時には全国の強豪校からものすごい数の勧誘があったという。だが、自宅から徒歩で通える近所の九国を選んだと聞いて、うれしく思った。その上、甲子園にまで出場して応援に行くという楽しさまで味わうことができ感謝だ。

 小学校の時には、我が実家のお隣のおっちゃんが監督を務めていたソフトボールチームに所属しており、プロ入り後もあいさつに来たという。チームを率いて半世紀。「ここからプロ野球選手が育った!」と大喜びだった。

 そのおっちゃんも少し前に亡くなった。おっちゃんの御冥福と共に、一日でも長く地域の星・三好選手がプロで活躍することを心から願う。

 ◆村田 有子(西部総局編集部)福岡県北九州市出身。九州国際大付卒。当時は男女が別校舎だった。

 <福岡データ>

夏の出場 87回(通算91勝83敗)

最高成績 優勝4回(小倉=1947、48年、三池工=65年、西日本短大付=92年)

最多出場 小倉(10)

最多勝利 小倉(15)

出場経験 28校、うち未勝利8校(今夏、折尾愛真と沖学園が初出場)

 ※データは北福岡、南福岡を合算

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