【西千葉】中央学院・大谷、大ケガからの復帰1号で春夏連続の甲子園!

[ 2018年7月27日 05:30 ]

第100回全国高校野球選手権記念西千葉大会決勝   中央学院6―2東京学館浦安 ( 2018年7月26日    ZOZOマリン )

<中央学院・東京学館浦安>4回1死、右翼席にソロ本塁打を放つ中央学院・大谷(撮影・近藤 大暉)
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 第100回全国高校野球選手権記念大会(8月5日から17日間、甲子園)の地方大会は26日、12大会18試合が行われ、新たに6代表が決まった。西千葉大会では中央学院が初優勝。5月末に頭部に大ケガを負った大谷拓海投手(3年)が、1―1の4回に今大会初本塁打を放ち、センバツに続く出場を決めた。きょう27日は12大会19試合があり、5代表が決まる。

 内寄りに投じられた初球、96キロカーブを大谷は思い切り引っ張った。叩いても、ファウルにならない。打球は右翼席に刺さった。ブランクがあっても、技は忘れていなかった。

 「打った瞬間入ったと思った。ダイヤモンドを回る間、気づいたら拳を挙げていた」

 4回1死。準決勝まで11打数2安打と低調だったバットから、高校通算33号が生まれた。大ケガから復帰後初の本塁打。聖地への切符をその手でつかんだ。

 道は険しかった。5月末の練習試合で、登板中にライナーを頭に受けた。救急車で緊急搬送。診断は悪魔の声に聞こえた。頭蓋骨骨折に脳挫傷。軽い外傷性くも膜下出血まであった。母の容子さん(45)は「2、3日意識が戻らず、大好きな野球ができなくなってしまうのではないかと心配だった。それどころか、普通の生活さえ送れるのか不安だった」と振り返った。

 目を覚ましても、始めは立つことすらできなかった。それでも「入院中も野球のことばかり考えていた」と大谷。まずは食べて、76キロから69キロまで減った体重を戻すことに集中した。6月27日に練習復帰。バイクをこいでの体力づくりに腐心した。

 打撃練習を再開しても、感覚がおかしく球が芯に当たらない。焦りが募った。励みは、仲間の「急がないでやっていけ」という言葉。ティー打撃でバットに当てることから始めた。大会前はマシン打撃まで。医師から試合出場許可が出たのは19日の4回戦だった。

 「仲間や両親、支えてくれた人みんなに感謝したい」と涙を見せた。スタンドで父の昭彦さん(47、写真)も目頭を熱くした。「誰が野球を教えたわけでもないのに、小2で“第100回大会で甲子園に出場する”と言いだした」。夢をかなえた息子がたくましく映った。

 エンゼルス・大谷のような投打二刀流が持ち味だが、投手としては2試合6回2/3の登板にとどまった。「甲子園では試合に勝つのが一番だけど、マウンドにも立ちたい」。胴上げの際は「頭に気をつけて」と小さく宙を舞った。聖地で大きく宙を舞えるように――。(武田 勇美)

 <大谷拓海> ☆生まれとサイズ 2000年(平12)7月13日生まれ、茨城県牛久市出身の18歳。1メートル78、78キロ。右投げ左打ち。

 ☆球歴 小2で本埜ジャガーズで始める。滝野中では船橋シニアでプレーし、主に外野手。中央学院1年春から背番号9。秋から1をつけ、2年秋は関東大会を制した。

 ☆センバツ 初戦の2回戦で明徳義塾(高知)と対戦。昨秋明治神宮大会初戦で敗れたリベンジを期したが、9回2死から谷合に逆転サヨナラ3ランを浴び、5―7で屈した。打っては1番で1安打。

 ☆目指す選手 投手はカブスのダルビッシュ、打者はソフトバンクの柳田。憧れも二刀流。

 ☆性格 「小学生みたいな子。ただ野球のことだけは芯がしっかりしている」と父・昭彦さん。進路も全て自分で決めてきた。

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