【高知】「打てない」苦しんだ清原 鍵穴にはまった高知商・中山の剛速球

[ 2018年7月26日 08:00 ]

第67回大会準々決勝   高知商3―6PL学園 ( 1985年8月19日    甲子園 )

<PL学園・高知商>5回無死、清原は中山裕(左)からソロホームランを放つ
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 伝説の扉を開くには、鍵が必要だった。1985年に生まれたPL学園・清原和博の大会記録、1大会5本塁打(当時。昨年、広陵・中村奨成が更新)。清原氏は5月にインタビューした際、こう当時を回想した。「ここでホームランが打てなければ、ずっと打てないんじゃないか。打つのなら中山投手しかない、と思いました。ホームランが出なくて苦しんだので」。準決勝2本、決勝2本への道を開いた準々決勝での大会初アーチ。高知商・中山裕章の剛速球が、鍵穴にはまった。

 「甲子園史上最大140メートル」。8月20日付のスポニチはそう伝えた。5回に飛び出した一発。「100段ある左翼スタンドの下から数えて64段目に突き刺さった」と詳報している。中山は、同年センバツで清原を3三振させて優勝した伊野商・渡辺智男に続いて南国土佐が送り込んだ大会注目の怪腕だった。146キロの球速と、闘争心。清原氏は「ストレートの握りを見せて、ストレートを投げてきました。中山も自信があったと思いますし、同じ高知で、渡辺がやったのなら俺もという気持ちがあったと思います」と述懐した。

 江本孟紀はちょっと時代が違い、中西清起の頃はまだ野球を知らなかった。その後の歴代エース、津野浩や中山、岡林洋一、岡幸俊はしっかり覚えている。祖父母がいた高知。高知商は、その通り道にあった。盆休みには祖父母や親戚の家で、テレビを見て応援した。

 印象的だったのが校歌。「鵬程万里〜」で始まるそれは、「ああ、PL〜」や「たたえよ池高、輝く池高〜」に比べれば圧倒的に短かった。この仕事をするようになって知ったが、甲子園で流れたのは1番だけで、4番まで聞くと面白い。校名が一切出てこない代わりに「レバノン」「フェニキア」「ヘルメスの神」……壮大だ。

 ◆和田 裕司(東京本社スポーツ部)高知は「わが父親」の故郷。高校は神奈川・桐蔭学園。今や大阪桐蔭が強力すぎて影が薄いが、高3夏はアルプスで応援した。

 <高知データ>

夏の出場 61回(通算92勝59敗)

最高成績 優勝2回(高知=1964年、明徳義塾=2002年)

最多出場 高知商(22)

最多勝利 高知商(36)

出場経験 7校、うち未勝利2校

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