【愛媛】奇跡のバックホームよりも…松山商、酒井擁した1984年が“最強”

[ 2018年7月25日 08:00 ]

第66回大会準々決勝   松山商1―2PL学園 ( 1984年8月19日    甲子園 )

1984年、第66回全国高校野球選手権大会に出場した当時の松山商・酒井
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 結束の強い四国人は自分の県だけでなく四国4県の出場校を応援する。83年は愛媛出身の私もエース水野雄仁を擁した徳島・池田の優勝を信じて疑わなかったものの、準決勝で1年生の桑田、清原のPLに敗れ去った。その時のショックは今でも覚えている。

 そして、翌84年。愛媛大会をわが母校・西条を下すなど圧倒的な強さで勝ち上がった松山商は、四国人の期待を背負い全国大会へ。2年生エース左腕・酒井光次郎(89年日本ハムドラフト1位)と強力打線で準々決勝に進んだ。満を持してのPL戦。愛媛人のボルテージは最高潮に達した。

 PLに死角なしというのが全国的な前評判。その中で初回、松山商が桑田の立ち上がりを攻め、3安打を集中し1点を先制した。酒井は抜群の制球力で強力PL打線を4回まで0点に抑えた。しかし、5回。1死一、二塁のピンチで送りバントを処理した酒井がまさかの三塁悪送球し同点に追いつかれた。1−1の7回には、先頭・桑田の二塁打をきっかけに勝ち越し点を許した。

 しかし、最終回に松山商が意地を見せる。主将・乗松が桑田から左翼線三塁打を放ち1死三塁のチャンス。王者を追い詰めた。4番、5番が凡退し敗れたが、松山商7安打、PL6安打と互角の戦いだった。あの5回の悪送球がなければ…と悔やまれる敗戦であった。

 翌年、3年生となった酒井を中心に全国制覇を狙った松山商だったが、愛媛大会準決勝で好投手・黒子孝善を擁する西条に0−5と前年のリベンジを許した。その後、夏の甲子園では86年水口栄二を擁し準優勝、96年奇跡のバックホームで優勝を果たしているが、松山商の歴史の中でも84年のチームが投打のバランスにおいて最強ではないかと私は思っている。

 ◆行天 幸夫(大阪本社整理部)1990年入社。愛媛県西条市出身、86年西条高校卒。高校2年時にセンバツ8強。

 <愛媛データ>

夏の出場 73回(通算117勝66敗1分け)

最高成績 優勝6回(松山商=1935、50、53、69、96年、西条=59年)※松山商の50年優勝時の校名は松山東

最多出場 松山商(26)

最多勝利 松山商(60)

出場経験 14校、うち未勝利4校

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