【香川】観音寺中央 センバツ初出場V後の夏…教えてくれた追われる者のつらさ

[ 2018年7月23日 08:00 ]

第77回大会2回戦   観音寺中央3―4日大藤沢 ( 1995年8月16日    甲子園 )

<日大藤沢・観音寺中央>11回裏一死二、三塁、神崎の二塁への当たりで三塁走者、西村が生還し、バンザイする横で捕手・森が天を仰ぐ
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 田舎でノホホンと生まれ育った記者にとって「日本一」は別世界のものだった。口にしたこともなければ、夢にすら見たこともない。はるか遠い世界だった。その時までは…。

 阪神・淡路大震災が起こった1995年。観音寺中央(現観音寺総合)がセンバツ大会で初出場初優勝を成し遂げた。高松一高サッカー部だった記者は、テレビで観た快進撃に驚きを隠せなかった。他校で他競技。だが同学年の選手たちが頂点まで上り詰めた姿は“香川県の子でも日本一を狙えるんだ”という新しい感覚を生んでくれた。

 春夏連覇がかかった第77回全国高校野球選手権。観音寺中央は戦前の予想通り全国大会へ駒を進めた。当然、県民の期待は優勝。だが他校のマークは想像を超えるくらい厳しかった。初戦の宇都宮学園戦。8回を終えた時点で4―6と大苦戦した。最終回で4点を奪って逆転勝利を収めたが、続く2回戦・日大藤沢戦も主導権を握れない戦いとなった。

 9回に何とか同点に追いついて延長戦までもつれ込む。そして3―3の11回1死二、三塁。当時のエースだった久保尚志が投げた152球目は一、二塁間へはじき返された。二塁手の懸命のバックホームも間に合わずゲームセット。この時、外野手を三塁ベース前に配置するスクイズ封じの大胆策も話題になったが、勝ち続けるのは簡単ではないと痛感。追うよりも追われる方が大変なんだと知った。

 田舎の子が大きな舞台を夢見ちゃいけないなんてことはない。でも勝つことも、勝ち続けることも簡単じゃない。同い年の子が見せてくれた世界は、その後の人生に大きな影響を与えてくれた。

 ◆飯間 健(大阪本社報道部)記者歴のうち長くがサッカー担当。先のW杯ロシア大会も取材した。

 <香川データ>

夏の出場 68回(通算67勝66敗)

最高成績 優勝(高松商=1925、27年)

最多出場 高松商(19)

最多勝利 高松商(22)

出場経験 13校、うち未勝利2校

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