【岡山】選抜V・岡山東商まさかの初戦敗退 地方大会で燃え尽きた平松政次

[ 2018年7月18日 08:00 ]

第47回大会1回戦   岡山東商0-4日大二 ( 1965年8月14日 甲子園 )

<岡山東商・日大二>日大二に敗れた岡山東商。右から向井正剛監督、宮崎米三主将、平松政次
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 雨を恨んだ。春のセンバツで岡山県勢初の甲子園優勝を果たした岡山東商が1回戦で姿を消すなんて…。

 大会1日目の第3試合。3−1と2点リードしていた5回途中、激しい雨が降ってきてノーゲームとなり、翌日の第1試合に組み込まれた再試合に0−4で敗れたのである。

 しかし、エースの平松政次は負けた悔しさより、肩の荷が下りたという安ど感の方が強かったらしい。

 センバツ優勝校が地方大会で姿を消すわけにはいかない。その一念で岡山大会、東中国大会、9日間で7試合を一人で投げ切った右腕は肩に激しい痛みを覚えていたのだ。

 岡山大会では4日連投となった準決勝で、のちにヤクルトで通算191勝を挙げる松岡弘の倉敷商と激突。3−3で8回日没コールドゲームとなり、翌日の再試合を5−2でものにする。

 これで東中国大会に進み、1回戦で境(鳥取)を4−0で破った。さあ、甲子園切符を懸けた決勝戦の相手は同じ岡山の関西。エースはこの年の第1回ドラフトでサンケイ(現ヤクルト)と東映(現日本ハム)から1位指名される怪腕、森安敏明だった。

 岡山県営球場で行われた決戦。小学4年生だった私は3キロほど離れた自宅から自転車を飛ばした。岡山県高校野球史に残る激闘。息詰まる投手戦に引き込まれた。

 関西が6回に1点を先制すれば、岡山東商は7回、右中間三塁打を放った平松がスクイズで生還して同点。勝負は延長戦に持ち込まれ、岡山東商が11回、連打でサヨナラ勝ちを収めた。

 敗れた森安は当たりクジを引いた東映に入団し、翌1966年、チーム開幕4戦目の南海戦(後楽園)で初登板初完封のデビューを飾り、この年11勝を挙げた。

 一方の平松は中日の4位指名を蹴り、日本石油に入社。1967年の都市対抗で橋戸賞に輝き、1966年ドラフトで2位指名された大洋(現DeNA)に入団した。カミソリシュートを武器に通算201勝を挙げたのは言うまでもない。

 平松が燃え尽きた森安との激闘。当時は将来野球記者になるなんてこれっぽっちも思っていなかったが、スタンドでこの目にできたのはささやかな自慢である。

 ◆永瀬 郷太郎(特別編集委員)1980年入社。母校の岡山朝日は岡山一中時代の1921年(大10)、鳴尾球場で行われた第7回大会に岡山県勢として初出場を果たす。24年に完成した甲子園には春夏とも出場したことがない。

<岡山データ>

夏の出場 62回(通算62勝62敗)

最高成績 準優勝1回(岡山理大付=1999年)

最多出場 岡山東商(11)

最多勝利 倉敷工(14)

出場経験 14校、うち未勝利4校

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