【北大阪】“府立の星”春日丘 私学7強の牙城崩した猛練習と勝利への執念

[ 2018年7月14日 08:00 ]

第64回大会1回戦   春日丘3―2丸子実 ( 1982年8月10日    甲子園 )

<春日丘・丸子実>勝利し喜ぶ春日丘ナイン
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 大阪桐蔭、履正社の2強が君臨する現在の大阪の高校球界。1960年代から80年代には“私学7強”が激戦区を牛耳っていた。16年夏で休部したPL学園を筆頭に浪商(現大体大浪商)、北陽(現関大北陽)、大鉄(現阪南大高)、近大付、興国、明星の7校が交代で甲子園に出場していた。大阪府立校で夏の甲子園に出場したのは計14校。59年夏の八尾以来23年ぶりに公立勢として聖地に立ったのが、82年の春日丘だった。

 大阪大会準々決勝で春の選抜大会2連覇中のPLを倒し、太成(現太成学院)、近大付にも勝って頂点に立った。その甲子園初戦で長野代表の常連、丸子実(現丸子修学館)に逆転勝ち。2回戦で法政二に敗れたが“府立の星”の大活躍に心を震わせた。

 当時の春日丘の田宮―大黒のバッテリーは、今もマスターズ甲子園大阪大会でよく顔を合わせる。捕手だった大黒佳久氏(53)は「全国トップのPLに公式戦4度目の対戦で勝って勢いがついた。猛練習し、勝ちたいという執念が実った。府立校が私学強豪に勝つにはそれしかありません」と体験談を語ってくれた。その後、中村紀洋(元近鉄ほか)の渋谷が90年夏に甲子園出場を果たしたが、この半世紀で夏の甲子園に出た府立校は2校だけ。今年こそ、今年こそ何とか…。母校の後輩たちにも頑張ってもらいたい。

 ◆古野 公喜(大阪本社報道部)高校野球発祥の地・豊中市出身。81年豊中高卒。1年夏は全国VのPLに初戦コールド負け。2年夏は府4回戦で全国4強浪商に惜敗。3年夏は府16強。自称・俊足強打好守の中堅手で…。

 <大阪データ>

夏の出場 99回(通算166勝87敗)

最高成績 優勝12回(浪商=1946、61年、明星=63年、興国=68年、PL学園=78、83、85、87年、大阪桐蔭=91、2008、12、14年)

最多出場 PL学園(17)

最多勝利 PL学園(48)

出場経験 30校、うち未勝利8校

 ※データは北大阪、南大阪を合算

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