賢介「北海道が大好き。生涯、住みたい」秋にはファンと笑えるように

[ 2018年7月12日 08:52 ]

チームへの思い、北海道への愛を語る田中(撮影・高橋茂夫)
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 2年ぶりの優勝に向けて貯金10の2位で前半戦を終えた日本ハム。発展途上の若手が多いチームを支えているのが、日米で経験豊富なベテラン・田中賢介内野手(37)だ。今季も主に左の代打として勝負強い打撃を披露。スタメン出場した際も存在を示している。チームへの思い、北海道への愛など、その胸中を激白してくれた。(構成=山田 忠範)

 ――前半戦を終え、貯金10の2位につけている。

 「若い選手が多い中で、みんなが一丸となって頑張っていると思う。これからシーズンの後半戦に入ると、もっと順位争いが激しくなるし、若手にとっては、その経験が必ず財産になると思います」

 ――自身は本拠地が東京だった00年に入団し、北海道移転後の04年以降で5度の優勝を全て経験している。

 「時代によってチームの色や、やっている野球も違う。06、07、09年はほとんどメンバーが変わらず、チーム力も凄かった。12年も力のある選手が多かったですね。昔は1―0で相手にどう勝つか、を考えていたけど、今は違う。打者の力が上がっていて、どうしても点数が入る。昔は流れをつかむ瞬間は数えるほどしかなかったけど、今は試合の中で何度もある。だから8―5でどう勝つか、という時代になっていると思いますね」

 ――昨年から主に左の代打として待機するようになり、スタメン出場の機会が減った。

 「やっぱり1打席は難しい。4打席に立てるときは“どこで打って点を取ればチームが勝てるか”を考えながら、相手バッテリーと1試合の中で駆け引きをしていた。今はそんな駆け引きができない。あまり考えず、自然体で打席に向かうようにしているけど、何が正解なのか、いまだに分からないです」

 ――代打と言えば、誰を思い浮かべる?

 「(09〜12年に同僚だった)二岡さん(現巨人打撃コーチ)は移籍してきて、凄い代打で打っていたイメージがあります(巨人から移籍1年目の09年の代打打率・400)。今年5月(29〜31日)の交流戦で、グラウンドであいさつした時に“あの頃、どうやって打席に向かっていたんですか?”と聞いたんです。詳しくは言えないけど、ヒントをもらうことはできました」

 ――6月に入ってから調子を上げ、チーム57年ぶりの沖縄公式戦だった同27日のソフトバンク戦では9回に同点打、前半戦の最終戦だった今月10日のソフトバンク戦でも適時打をマークした。

 「沖縄の試合は1月に自主トレをやっている宮古島から知り合いが20人ぐらい応援に来てくれていたので、いいところを見せることができて良かったです。自分では調子が上がっている感覚はあまりないけど、気温が上がってきて体が動きやすくなっているのかもしれないですね」

 ――13年にメジャーに挑戦し、2年後の15年に古巣復帰。チームへの愛着は変わらなかったか?

 「日本に帰ることを決めた時も、ファイターズ以外のユニホームを着るイメージが湧かなかった。球団には本当に感謝してます」

 ――北海道のファンについて。

 「ファンの皆さんは本当に温かいし、いつも支えられています。最初は自分にとって縁もゆかりもなかったけど、今は北海道が大好き。生涯、住みたいと思ってます」

 ――今後に向けて。

 「まずは混戦の中で我慢して上位に食らいつくことが大事。自分も少しでも勝利に貢献して、ファンの皆さんと秋には笑えるように頑張りたいです」

 ≪取材後記≫記者はプロ野球記者1年目の02年に東京時代の日本ハムを担当していた。当時、田中賢は高卒3年目の21歳。レギュラー定着はまだまだ先で、やんちゃな性格でもあったため、首脳陣からは同年代の森本(現評論家)、実松と「3バカ」と呼ばれていた。当時の1軍のあるコーチは「あの3人が一緒に1軍にいると遊んでしまうから、3人が1軍で一緒になることがないようにしている」と冗談交じりに語っていたほど。そんな「3バカの三男」が、酸いも甘いも経験して今や若手の手本となっている。当時を知る記者としては、とても感慨深い。(山田 忠範)

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