【奈良】天理“沖縄の悲願”を阻み、2度目の深紅の優勝旗

[ 2018年7月12日 08:00 ]

第72回大会決勝   天理1―0沖縄水産 ( 1990年8月21日    甲子園 )

<天理・沖縄水産>4年ぶり2度目の優勝を決めた天理ナイン
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 この応援を聞くだけで故郷に帰れる。ヒットや得点を挙げた時に奏でられる「ファンファーレ」、そしてアルプススタンドが一体となり、どこか威圧的に聞こえる応援の「ワッショイ!」。中学の同級生にはブラスバンドがやりたくて天理に進学した子もいた。その気持ちがわかる気がした。

 90年の72回大会。当時、私は東京の大学に進学していたが、天理が誇る「ツインタワー」には大きな期待をかけていた。3年生エースの南竜次が1メートル93なら、2年生投手の谷口功一が1メートル91。力量の均衡した2人で夏を戦い抜き、決勝は県勢初の優勝がかかる栽弘義監督率いる沖縄水産との激突となった。

 試合は南と沖水のエース神谷善治との投手戦に。疲れからか球威、切れともいまひとつだった南だったが、丹念な投球で要所を締める。4回に犠飛で挙げた1点リードを守り抜き、迎えた9回2死二塁。9番横峯孝之の放った痛烈なライナーは左翼線へ飛んだ。同点だ――。判官びいきもこもったスタンドが沸き上がったが、左翼小竹英己が背走一番、好捕。“沖縄の悲願”を阻むとともに、4年ぶり2度目となる深紅の優勝旗を手にした。

 南はこの年の秋のドラフトで日本ハム入りし、谷口は翌秋ドラフトで巨人入団。しかし、故障などもあってともに未勝利のままユニホームを脱いだ。ある評論家に聞いてみたことがある。「なぜ大きな投手は大成できないんですか?」「体を持て余すんだろうなあ。バランスが悪い。それを教えられるコーチもいない」。

 トレーニング法の進化に代表されるように、時代は変わった。ダルビッシュ、大谷らの出現はその象徴ともいうべき事象だ。南と谷口も生まれる時代があと20年遅ければ、違った野球人生になったのだろうか。

 ◆石塚 徹(大阪本社編集局)91年入社。近鉄、広島、阪神などを担当。入社年のセンバツに母校の奈良高校が出場。ちなみに高校当時は柔道部。

 <奈良データ>

夏の出場 58回(通算81勝56敗)

最高成績 優勝2回(天理=1986、90年)

最多出場 天理(28)

最多勝利 天理(48)

出場経験 7校、うち未勝利2校

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