【京都】41年ぶり頂点届かずも…平安“絶対エース”川口、誇りの820球

[ 2018年7月11日 08:00 ]

第79回大会決勝   平安3―6智弁和歌山 ( 1997年8月21日    甲子園 )

<平安・智弁和歌山>準優勝盾を抱き、寂しげな表情を見せる平安・川口
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 優勝は逃したが、この夏のヒーローは平安(現龍谷大平安)の川口知哉だったと思う。6試合55イニングをオール完投。820球の熱投だった。41年ぶり優勝はならなかったが、強豪「平安」が帰ってきた。

 スポニチ本紙で掲載された阿久悠氏「甲子園の詩 敗れざる君たちへ」の中でこう表現された。

 絶対のエースの誇りと意地は 嘆いて俯(うつむ)くことも 救いを求めて天を仰ぐことも 怒りで土を蹴ることも 決してしなかった それがエースであろう

 95年夏の京都大会初戦(2回戦)、1年生の川口と、2学年上、プロ注目の南京都(現京都広学館)・斉藤和巳(元ソフトバンク)の投げ合いを見た。試合は2―5の敗戦。平安ファンは敗者を罵倒した。その2年後、川口は絶対エースとして選手権の頂点を争うマウンドに上がった。大会を通じて51三振を奪い、平安のオールドファンだけでなく、全国の野球ファンを感動させる成長を見せた。

 初優勝した智弁和歌山も凄かった。中谷仁主将を中心に強打を武器に、大会通算打率・406をマーク。85年「KK時代」のPL学園の・401の記録を塗り替えた。川口はオリックス、中谷は阪神にドラフト1位で入団も、結果を残すことはできなかった。それが少し残念だった。

 ◆幡 篤志(大阪本社報道部)93年入社。京都市生まれ。東山高ではラグビー部。教育実習の担当クラスに岡島秀樹(元レッドソックスほか)がいた。

 <京都データ>

夏の出場 94回(通算118勝89敗1分け)

最高成績 優勝4回(京都二中=1915年、平安=38、51、56年)

最多出場 龍谷大平安(33)

最多勝利 龍谷大平安(59)

出場経験 21校、うち未勝利8校

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