【三重】クジラをモリで突き刺した センバツV腕を粉砕した明野のヒーロー

[ 2018年7月9日 08:00 ]

第68回大会1回戦   明野7―2池田 ( 1986年8月10日    甲子園 )

<池田・明野>初戦敗退で夏連覇の夢を断たれ、肩を落とす蔦文也監督(中央)率いる池田ナイン
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 ブラウン管のテレビから聞こえたカキーンという打球音。ラッキーゾーンで跳ねた打球。大喜びでダイヤモンドを回る2年生の4番打者。明野の奥野博之外野手は私が初めて名前を覚えた郷土のヒーローだ。

 父親とともに見ていた記憶があるので日曜日だったか。「くじ運悪いなぁ。いきなり池田って。センバツ優勝校には勝てやんやろ」。三重大会決勝、明野は16―0で甲子園を決めた。津球場で爆勝を目の当たりにしていた小学5年生は「日本一相手に1点は取ってほしい」と思いながらテレビの前に陣取った。

 思いが通じたのか3回に明野が先制する。零敗はなくなったと思ったら、直後の4回に一挙6点を追加。そのトドメが奥野の2ランだった。センバツV腕・梶田茂生を粉砕する一発。モミアゲの冨士井金雪監督が「クジラをモリで突き刺した」と話したそうだが、見ていた小学生もそう感じた痛快なジャイキリだった。2回戦は甲子園のスタンドで応援、3回戦進出を見届けた。

 奥野は30年以上の時を経てこの夏、甲子園に帰ってくることになった。北福岡で初めて代表切符をつかんだ折尾愛真の監督として。三重県代表も初出場となる白山に決まった。郷土のヒーローVS郷土の初陣チーム。直接対決で生まれる新たなドラマが見たい。

 ◆八田 朝尊(東京本社スポーツ部記録課)三重県鈴鹿市出身。高田高卒。3年夏は2回戦で大敗、最後の打者に。一邪飛で一塁へのヘッドスライディングすらできず終戦。

 <三重データ>

夏の出場 56回(通算33勝55敗1分け)

最高成績 優勝1回(四日市=1955年)

最多出場 三重(12)

最多勝利 三重(12)

出場経験 21校、うち未勝利11校

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