【東愛知】ミスに泣いた下手投げの「青エンピツ」 国府の快進撃は豊川市民の誇り

[ 2018年7月6日 08:00 ]

第57回大会1回戦   国府0―1柳井商 ( 1975年8月9日    甲子園 )

中日時代の青山久人
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 43年前の夏。当時8歳の私は、母のぼやきで初めて「甲子園」を知った。母校の国府(こう)が初出場。寄付金の依頼を受けて苦笑いする母の姿に、「どうして大金が必要なんだ?」と不思議に思ったことを覚えている。

 母が驚くのも無理はなかった。名古屋市にある、中京(現中京大中京)、名古屋電工(現愛工大名電)、東邦、享栄の私学4強の独壇場となっていた愛知で、豊川市の公立校が奇跡を起こした。愛知大会は享栄、中京、名古屋電工を次々と撃破。決勝では愛知を4―1で下し、東三河地区から3校目となる甲子園出場を果たした。最大の立役者は後に中日、南海で活躍する青山久人。ドカベンの里中をイメージさせるような細身の下手投げで、めがねがトレードマーク。その容姿から「青エンピツ」と言われたエースを、女房役の市川和正(東海大→大洋)が支えた。県大会での失点は2。手堅い攻めで挙げた得点を投手陣が守って「野球王国」の代表となった。

 東三河勢としての初勝利がかかった甲子園。初戦の相手は、この年から単独出場になった山口県代表の柳井商だった。「めがねのエース」青山は堂々としたマウンドで持ち前の球威と抜群の制球力を武器に相手打線を抑えた。しかし、打線もチャンスを生かせず7回まで両軍ゼロ。迎えた8回。1死三塁のピンチを招くが、青山がけん制で三塁走者を三本間に挟んだ。ここで痛恨のミスが出た。走者を深追いしすぎて、本塁生還を許してしまった。

 その1点が響き、0―1で終戦。4安打の力投も報われず青山は初戦で甲子園を去った。悔やんでも悔やみきれない敗退とはなったが、胸のすくような快進撃は豊川市民の誇り。それを機に、真剣勝負が数々の感動を呼ぶ「球児の夏」の魅力にはまっていったのは言うまでもない。

 ◆黒田 健司郎(東京本社スポーツ部)母校の小坂井は愛知大会5回戦が最高。甲子園といえば、「球審・西大立目(にしおおたちめ)、一塁塁審・達摩(だるま)」。

 <愛知データ>

夏の出場 96回(通算129勝88敗)

最高成績 優勝8回(愛知一中=1917年、中京大中京=31、32、33、37、54、66、2009年)

最多出場 中京大中京(28)

最多勝利 中京大中京(78)

出場経験 18校、うち未勝利9校

 ※データは東愛知、西愛知を合算

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