【石川】高校最後の打席でゾーン突入 ヒーローになり損ねた金沢の7番打者

[ 2018年7月3日 08:00 ]

第79回大会1回戦   金沢4―5仙台育英 ( 1997年8月11日    甲子園 )

<金沢・仙台育英>9回2死三塁、金沢・奥村は右中間に逆転の適時二塁打を放ちガッツポーズ
Photo By スポニチ

 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 アスリートは集中力が極限まで高まるとゾーンと呼ばれる無敵モードに突入するという。金沢の7番打者・奥村大洋は高校最後の打席で経験した。

 きっかけは岩井大部長の一言。2点を追う9回表1死から3番打者が四球で出たところで「いい場面で回ってくるぞ」と声を掛けられた。「あれでスイッチが入った」。頭がさえ雑音が消えていく。同点に追いつき、なおも2死三塁から右打席へ入った。「あんなこと初めて。音が消えて投球がスローモーションに見えた」。外寄りの直球を捉えた打球は右中間で弾む勝ち越しの二塁打。頭から滑り込んで拳を突き上げた瞬間、大音量の歓声が耳に飛び込んできた。

 野球の神様がくれたご褒美だったのかもしれない。1年冬に腰のヘルニアを患い捕手を断念。懸命のリハビリを経て左翼の定位置をつかんだ。石川大会直前に腰痛が再発。痛みと闘いながら決勝で本塁打を放った。甲子園の直前に浅井純哉監督(現鵬学園監督)から一人だけ右打ちの指導を受けていたことも神がかっていた。

 私は一塁側アルプスで観戦した。打席に向かう彼を見て、9年前の光景を思い出していた。小松市内のバッティングセンター。当時、高校球児だった私の隣でフォームをまねしていた野球少年が、いとこの大洋君だった。

 試合はその裏にエースが打たれサヨナラ負け。結局、9歳下のいとこはヒーローになり損ねた。それでも“幻の決勝二塁打”が今では二人で飲む酒の最高のアテになっている。

 ◆中澤 智晴(大阪本社ビジネス開発局事業部)石川県小松市出身の47歳。小松明峰では3年時に石川大会8強。自称「日本一うるさい三塁ベースコーチ」。

 <石川データ>

夏の出場 59回(通算36勝59敗)

最高成績 準優勝1回(星稜=1995年)

最多出場 星稜(18)

最多勝利 星稜(18)

出場経験 14校、うち未勝利7校

続きを表示

この記事のフォト

2018年7月3日のニュース