元楽天コーチ仁村薫 故星野氏にも感謝された生産米、ナゴヤドームへ納品

[ 2018年7月2日 10:00 ]

米作りに心血を注いでいる仁村薫さん
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 【伊藤幸男の一期一会】「あんちゃん」と親しまれた野球人が、米作りに心血を注いでいる。80年代は巨人、中日の選手として、引退後は楽天などのコーチを歴任後、12年末から埼玉・川越市の実家を継ぐ形で農家となった仁村薫さん(59)だ。2年間「1等米」を作り続けたことで、今春からナゴヤドームへ生産米を納品。恩師の故星野仙一氏にも美味を認められた。

 米作農家にとって天気予報とニラメッコする季節がやって来た。出穂期の約40日前、水田の水を抜くことで土中のガスを取り除くと同時に酸素を補給し、稲根の生育を健全に保つ「中干し作業」である。仁村さんも2町4反(約7200坪)の田んぼで育つ稲茎を日々見極め、間近に迫った中干しのタイミングを図っている。「どんな天候不順でも1等米を世に出す訳だから、プレッシャーはあるよ。自然相手でも言い訳はしたくない」。日焼けした顔で厳しい等級検査をパスした玄米を愛おしげに見つめた。

 実家は380年前から川越で暮らす農家。第17代目当主として仁村兄弟の長男・薫さんが真っ先に取り組んだのが土壌改良だ。川越は米どころの東北、新潟、富山と比較し、昼夜の寒暖差が少ない。寒暖差を作り出すため3、4日に1回は水を入れ替えつつ、たい肥をまいてきた。土質や水はけも1反ごとに異なるから、観察メモは必ずつけた。華やかなプロ野球とは全く違う気の遠くなる作業だったが、3球団のコーチとしてチーム強化に携わったことが役に立ったという。「田植え→中干し→稲刈りと正しくやったつもりでも、おいしい米は作れない時はある。選手育成もそう。情熱だけではどうにもならない。ただ性格を知った上で、正しいアプローチをしない限り結果が出ないのは米作りも一緒」。昨年、田んぼに初めてシラサギが飛来した。稲にとって快適な環境が整いつつあると他の生物が教えてくれた。

 地道な努力の末、古巣の本拠地での生産米納品につながった。4月からナゴヤドーム内3階の「プライムボックス」4階の「アリーナビュー」に「仁村薫のまごごろ米」を盛り付けたメニューを提供。ファンは松坂の熱投を観戦しながら“仁村あんちゃん”が丹精込めたお米をほおばっているのだ。

 中日、楽天時代に世話になった星野仙一氏とは昨年12月1日、大阪市内で行われた「野球殿堂入りを祝う会」で挨拶したのが最後だった。「お前んとこの餅はうめえんだよなあ」。毎年末、つきたての餅を差し入れていたが、即座に送ると「感謝」と大きく記されたはがきが届いた。

 人を愛し、人に愛され、物作りにプライドを持つ「あんちゃん」の人生に迷いはない。



 ◆仁村 薫(にむら・かおる)1959年(昭34)5月9日、埼玉県川越市市出身の59歳。川越商から早大へ。東京六大学ではエースとして通算17勝。81年ドラフト6位で巨人入団。3年目に投手から外野手に転向。87年に戦力外通告を受け、88年中日に移籍。弟・徹との「兄弟選手」として注目を集めた。90年引退。95年から巨人の2軍外野守備コーチ、98年から中日で2軍野手総合コーチ、1軍外野守備コーチなどを歴任。03年に1年間離れるが、04〜07年まで再び中日コーチ。評論家活動を経て11年から楽天コーチなどを務め12年オフに退団。プロ通算396試合、394打数91安打の打率・231。15本塁打、60打点。右投げ右打ち。

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