【長野】「佐久」の名を全国に知らしめた“心の野球”

[ 2018年6月30日 08:00 ]

第76回大会準決勝   佐久2―3佐賀商 ( 1994年8月20日    甲子園 )

<佐久・佐賀商>1994年8月20日、延長10回、サヨナラでの勝利に沸く佐賀商ナイン
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 「ジス・イズ・高校野球」

 9歳の夏だった。実家から目と鼻の先にある佐久(現佐久長聖)が甲子園初出場を決めた。長野大会決勝で松商学園を撃破。前年まで夏3連覇、春夏合わせて44度も聖地を踏んでいた信州の絶対王者に、“おらが街”の高校が土をつけたのだ。まだスポ少に入団して間もなかった野球少年の心は躍った。

 夏休み真っただ中、チームの監督のはからいで佐久の試合日は練習中止。そればかりか自身が経営していたレストランに選手全員を集め、30人ほどでブラウン管越しのヒーローに声援を送った。佐久はエース松崎幸二が初戦の2回戦を2安打完封、3回戦を14奪三振完投で勝ち上がると、準々決勝ではスクイズでサヨナラ勝ち。県勢54年ぶりの4強進出で地元はお祭り騒ぎになっていた。

 佐賀商、柳ケ浦(大分)、樟南(鹿児島)と九州勢が史上初めてベスト4の3校を占める中、東のトリデとして全国的にも注目の的。大げさではなく佐久市の歴史上、日本中にその名が最もとどろいたのがこの年だと思っている。佐久長聖が陸上長距離界の「半端ない」大迫傑を擁して高校駅伝初優勝を果たす14年も前の話である。

 さて準決勝。ここでも松崎の快投で8回まで2―0。だが、9回に背番1が突如崩れ追いつかれた。2番手左腕の柳沢篤史も延長10回に打たれ、決勝目前でサヨナラ負けを喫してしまった。天国から地獄。幼心に勝負の厳しさを知った瞬間だった。

 当コラムを書くため、事実確認のため過去のスポニチ紙面を検索した。阿久悠さんの当時の連載「甲子園の詩〜敗れざる君たちへ」を見つけた。そこにあったのが冒頭の言葉だ。

 「独特の美意識と品性が勝利の価値に優先する。心の野球が高校野球です」

 監督のレストランでチームメートと一緒に号泣した。だけど、晴れ晴れとした気持ちで翌日から練習に打ち込めたのは、佐久ナインの白球を追う姿がなによりも美しかったから。それを「甲子園の詩」が教えてくれた。

 ◆小平 陽(東京本社編集センター)長野県佐久市出身。佐久長聖ではなく野沢北野球部。高校時代の異名は「東信No.1ショートストップ」。

 <長野データ> 

夏の出場 95回(通算59勝93敗)

最高成績 優勝(松本商=1928年)

最多出場 松商学園(36)

最多勝利 松商学園(26)

出場経験 27校、うち未勝利14校

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