【山梨】高校野球不毛の地が…荒木大輔以上に県内を熱くした東海大甲府

[ 2018年6月29日 08:00 ]

第64回大会3回戦   東海大甲府3―6早実 ( 1982年8月17日    甲子園 )

1982年8月17日、早実戦で得点に喜ぶ東海大甲府ナイン
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 「甲子園の土は黒かったずら」。小6の夏、近所の兄ちゃんが甲子園に出場、持ち帰った土を見せてくれた。まるで月から帰ってきた宇宙飛行士のように、甲子園は遠く、あこがれよりも未知の世界だった。

 山梨県勢は、甲府商が1967年センバツでベスト4、甲府工が66年夏にベスト8入りした以外、目覚ましい成績はなかった。静岡や埼玉との2次予選があってなかなか代表になれず、78年に1県1代表制になってからも初戦敗退が続いて、高校野球不毛の地とさえ言われた。

 82年、東海大甲府が変えた。長年公立高が強かったため、私立高の出現に最初は違和感さえあったが、過去にないデータ野球で2年連続甲子園出場を果たすと、期待に胸が膨らんだ。初戦、境に圧勝、それだけで興奮した。2回戦、古豪高知商にサヨナラ勝ち、どこまで勝ち進めるか欲も出てきた。そして3回戦、早実戦、6回まで3―3、応援にも力が入る。結果は3―6で負け、ベスト8を逃したものの、甲子園で勝ち進むことができ、ただただうれしかった。日本中が早実のエース荒木大輔に沸いた以上に、山梨県内は熱くなった。この東海大甲府の活躍が、その後の山梨県勢躍進のきっかけになったと思う。

 そして、我が母校の巨摩は、43年前に兄ちゃんが行った以来、甲子園出場を果たしていない。毎年山梨大会が始まると、今年こそと母校の新聞チェックが始まる。今年も楽しみな夏が来た。

 ◆宮田 佳子(東京本社広告局)OFBL(45歳以上の野球リーグ)スポニチチームでマネジャーを務める。

 <山梨データ>

夏の出場 53回(通算41勝53敗)

最高成績 4強3回(東海大甲府=1985、2004、12年)

最多出場 東海大甲府(13)

最多勝利 東海大甲府(20)

出場経験 14校、うち未勝利5校

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