【南神奈川】マリンブルーが映えた夏…谷繁をキリキリ舞いさせた男 横浜商・古沢

[ 2018年6月28日 08:00 ]

第69回大会1回戦   横浜商4-0江の川 ( 1987年8月10日    甲子園 )

横浜商・古沢
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 新入社員だった87年の夏、初めて甲子園を訪れ、取材する機会に恵まれた。地方大会で主に担当していたのが神奈川。198校の激戦を勝ち抜いて、2年連続6回目の優勝を果たしたのがY校こと横浜商だった。

 エースは2年生で背番号11をつけた古沢直樹。大会3日目に江の川との1回戦を迎えた。江の川は後に横浜、中日などで活躍し2000安打も記録した谷繁元信が2年生ながら4番を務めていたが、古沢は、まさにワンマンショーを展開。終わってみれば散発6安打の公式戦初の完封勝利を挙げた。谷繁ものちに「1打席目が終わったところで“無理だ”。古沢の球を打てる気がしなかった」と語ったほどで、4打数無安打2三振、最後の打者にもなる屈辱を味わった。

 また、打っても3回に夏の甲子園通算550号となる先制の本塁打。まだ少年らしさの残る笑顔で「甲子園のマウンドがこんなに投げやすいなんて」と語っていたのが印象的だった。2回戦の天理戦でも本塁打と完封の離れ業をやってのけた。

 当時、横浜商は宮城弘明や三浦将明の活躍で甲子園の常連校だった。テレビを通した時には、ブルーのユニホームが鮮やか過ぎる、と感じたものだったが、肉眼で見てみれば、甲子園の土に鮮やかなマリンブルーにユニホームが映えていた。

 そんな横浜商だが、夏は90年、春も97年を最後に甲子園から遠ざかっている。昨秋、90年夏に甲子園に行った時の選手だった小嶋一紀監督が就任。14年にスポーツマネジメント科ができたこともあり、現在の部員数も112人と全盛期の規模まで復活しているという。今夏はノーシードからの登場だが、古豪復活を期待したい。

 ◆西 智香子(東京本社デジタル編集部)87年入社、90年までと95、96年にアマチュア野球担当。小、中、高と横浜市の学校を卒業。

 <神奈川データ>

夏の出場 78回(通算123勝71敗)

最高成績 優勝7回(湘南=1949年、法政二=60年、東海大相模=70、2015年、桐蔭学園=71年、横浜=80、98年)

最多出場 横浜(17)

最多勝利 横浜(33)

出場経験 20校、うち未勝利2校

 ※データは北神奈川、南神奈川を合算

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