【西東京】あの夏、都国立は確かに奇跡のチームだった

[ 2018年6月26日 08:00 ]

第62回大会1回戦   都国立0―5箕島 ( 1980年8月8日    甲子園 )

1980年8月8日、甲子園1回戦で箕島に敗れるも、さわやかな表情で整列する都国立ナイン
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 ベストゲームと言ったら語弊があるかもしれない。ただ、筆者にとって試合よりも、そのチーム自体がベストチームだった。あの夏の都国立は、確かに奇跡のチームだった。

 東京大会が東西に分かれて7年目。都内でも有数の進学校で知られる都国立は、私学絶対優位だった西東京大会で信じられない進撃を見せた。1回戦から準々決勝(対佼成学園)での引き分け再試合を含めて8試合。コールド勝ちは1試合もない。ミラクルの連続で都立として初の甲子園出場。当時「(甲子園では)それなりに頑張ります」と答えた選手のインタビューが話題となり、大阪には参考書を持参した。

 迎えた大会初日の第3試合。相手は前年に春夏連覇を達成した箕島だった。試合は4回まで0―0。ひょうひょうとした市川武史投手の投球は今も脳裏に残っている。実は同じ都立の球児だった筆者は1年前の練習試合で都国立と対戦。市川投手は遊撃を守っていた。身近な存在の球児がプレーした甲子園。都国立は0―5で敗れ、全国の強豪校との力の差を見せられた。同時に「都立でも甲子園に行けるんだ」と実感もした。ただ、80年の夏以降に西東京大会を勝ち抜いた都立はない。

 筆者にとって、いろいろな意味でのベストゲーム。あの夏、東東京代表の早実の1年生投手・荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」が始まったのは、その3日後だった。

 ◆秋村 誠人(北海道支局)79年に西東京の都狛江卒業。最後の夏は2回戦で八王子(現八王子学園八王子)に敗れた。

 <東京データ>

夏の出場 142回(通算172勝134敗1分け)

最高成績 優勝7回(慶応普通部=1916年、桜美林=76年、帝京=89、95年、日大三=2001、11年、早実=2006年)

最多出場 早実(29)

最多勝利 早実(43)

出場経験 33校、うち未勝利11校

 ※データは東東京、西東京を合算

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