キューピーの謎――GHQが進めた「野球民主主義」

[ 2018年6月22日 09:30 ]

戦後復活となった1946年、第28回大会の参加章。キューピーをかたどったメダルだった(黒田脩さん所蔵)
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 【内田雅也の広角追球〜高校野球100回大会余話】京都二中(現・鳥羽高)三塁手として戦後復活の全国大会に出場した黒田脩さん(88=西宮市)は今もその小さなメダルを大切に保管している。1946(昭和21)年8月、西宮球場で開かれた第28回全国中等学校優勝野球大会(今の全国高校野球選手権大会)の参加章だ。

 直径3センチほどの円形、銅製だろうか。ひと房の髪、丸く大きく横を向いている目、膨らんだ頬、うつむき加減のあご……キューピーがかたどられていた。

 「これが謎ですね」と黒田さんは言った。「なぜ、キューピーだったのか。当時はそんな説明もなかったように思う。後に、いろいろ調べてはみましたが、分かりませんでした」。主催の朝日新聞社や日本高校野球連盟(高野連)に問い合わせたが明確な回答は得られなかったそうだ。

 通常、全国大会の参加章は球児のプレーする姿や甲子園球場をあしらった彫刻が施されている。著名なデザイナーや彫刻家が起用されることもある。確かに、この戦後復活大会のものだけが異彩を放っている。

 キューピーは1909年、米国のイラストレーター、ローズ・オニールがローマ神話に登場するキューピッドをモチーフに婦人誌「レディース・ホーム・ジャーナル」12月号で発表したキャラクター。米国でキューピークレイズ(キューピー狂)時代と呼ばれるほど大人気となった。

 日本には1915(大正4)年ごろに伝わった。中等野球の第1回全国大会が開催されたころである。

 愛好家の団体、日本キューピークラブの会長・北川和夫さんは「日本にやってきたキューピーもアメリカに負けないほどの大ブームとなり、大正、昭和と続きました」という。マヨネーズなどの食品会社、キユーピー株式会社がイラストを商標登録したのは1922(大正11)年だった。

 北川さんは問題のキューピー参加章について「見たことはあります」と言う。しかし「なぜ主催の朝日新聞社が絵柄に採用したのかという資料は見当たりません」とのことだった。

 新聞社との関連については、1926(大正15)年、毎日新聞社主催の「こども博覧会」では京都駅前に9メートル近いキューピー塔が造られた。日本放送協会(NHK)の「コドモテキスト」(昭和4年11月号)にも登場している。「日本中に人形、玩具、衣類、生活用品……ありとあらゆるところにキューピーが出てきます」。昭和初期の年賀状には野球やテニスをするキューピーの絵が描かれていた。

 北川さんは「実は戦争中もキューピーの兵隊さんがはがきに登場したり、敵性語として外来語が禁止されるなか、キューピーはあくまでも“キューピー”と呼ばれていたほどで、日本に溶け込んでいたと言えるでしょう」と話した。

 戦後、進駐してきた米国人にも敗戦国の日本人にも共通の、なじみ深い、愛されるキャラクターだった。

 なお残る参加章の謎について「あれはGHQだよ」と見解を示したのが同大会に芦屋中(現芦屋高)投手として出場した有本義明さん(87=東京都目黒区)だ。慶大で内野手、長年スポーツニッポン新聞記者として健筆をふるい、プロ野球経験なしでダイエー(現ソフトバンク)2軍監督を務めた。「何もウラがあるわけじゃない。ただ、あの昭和21年の参加章は朝日や連盟ではなく、GHQのアイデアだったと思うな。そういう時代だった」

 大会開会式には元立教大教授で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に務めていたポール・ラッシュ中佐が「再び野球が幾十万の若き日本の血潮を沸かすであろうことを確信する」と祝辞を述べ、参加19校の主将に米国製の硬球をプレゼントした。上空では米軍機が超低空の祝賀飛行を繰り返した。戦時中、中断されていた大会の復活を祝った。

 戦後「白球飛び交うところに平和あり」は高校野球の合言葉となった。野球は平和や民主主義の象徴だった。

 後に高野連会長となる佐伯達夫氏(1980年他界)が『佐伯達夫自伝』(ベースボール・マガジン社)に「終戦の日の決意」を書いている。<青少年たちが正しい進路を踏みはずさぬよう真っすぐ引っ張っていくべきだ><それには何よりも野球だ。心の成長のためにも一番だ><チームワークの尊さを体得させたい>。

 スポニチ本紙で1979―2006年、『甲子園の詩』を長期連載した作詞家・阿久悠氏(2007年他界)は終戦当時、淡路島の国民学校3年生、8歳の少年だった。野球のルールやマナーで難しい民主主義さえも理解できた。自伝に<野球と映画と流行歌を、僕は大人になってから、民主主義の三色旗と呼んだ>とある。

 映画にもなった自伝的小説『瀬戸内少年野球団』(文春文庫)でも、混乱のなか、野球を始めるシーンが印象的だ。駒子先生が教科書を閉じ「みんな。外へ出ましょう。先生が面白い遊びを教えてあげます」といった。三角ベースだった。

 いま一度、キューピーを考えてみた。日本キューピークラブの公式ホームページ(HP)によると、キューピーらしい愛として「キューピッシュ・ラブ」があるという。<キューピーたちの精神は、いつも「いいことを、たのしんでする」こと>だそうだ。

 戦後多くの青少年が白球を追う姿が目に浮かぶ。淡路島に建つ『少年団』の記念碑に阿久氏の詩「あのとき空は青かった」が刻まれている。<戦争という夜のあと こどもの朝が訪れた>

 北川さんは「高校野球の季節。記念すべき100回大会に思い起こしてくれれば、キューピーたちも喜ぶでしょう」と話した。キューピーの精神は野球本来の心に通じていた。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高(旧制和歌山中)―慶大。大阪本社発行の紙面で主に阪神タイガースを追うコラム『内田雅也の追球』は掲載12年目。和中・桐蔭野球部OB会関西支部長。

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