【福島】東日本大震災、原発事故…聖光学院、被災地の思いを背負って聖地へ

[ 2018年6月17日 08:00 ]

第93回大会2回戦   聖光学院2―4金沢 ( 2011年8月12日    甲子園 )

<聖光学院・金沢>涙を流し聖地を後にする聖光学院・歳内
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 福島県民に勝利の喜びを思い出させてくれたのが聖光学院だ。県勢は夏の甲子園で1995年から9年続けて初戦敗退。71年に磐城が準優勝した伝説は風化しかけていた。

 2004年の甲子園初勝利で県勢の連敗を止めた聖光学院は10年、第92回大会で兵庫出身の2年生エース歳内宏明(現阪神)を擁し、有原航平(現日本ハム)の広陵(広島)、山田哲人(現ヤクルト)の履正社(大阪)を撃破した。全国区の強豪校と堂々渡り合う姿は衝撃的だったが、まだ県内では「他県から生徒を集めて勝ったんだべ」と陰口もあった。

 その歳内が最上級となった11年、福島の歴史が激変する。東日本大震災に続く、東京電力福島第1原発の事故。県内全域が日々緊張を強いられる過酷な環境下、聖光学院は夏の甲子園に向かった。

 「被災地の思いを背負う」とマウンドに立った背番号1は、初戦の日南学園(宮崎)戦で延長10回に自らのバットで決勝タイムリーを叩き出し、5―4のサヨナラ勝利。そして迎えた金沢(石川)との2回戦で釜田佳直(現楽天)と投げ合い、2―4で敗れた。歳内は「福島の人にも申し訳ない」と涙を流した。右手人さし指の炎症に耐えて投げ抜いた131球だった。あの夏、歳内をはじめ聖光学院ナインは、福島の誇りだった。

 ◆君島 圭介(東京本社スポーツ部)福島県須賀川市出身。怪物級の友人が主将で4番を務めた日大東北も87年夏に初戦敗退。

 <福島データ>

夏の出場 56回(通算35勝56敗)

最高成績 準優勝1回(磐城=1971年)

最多出場 聖光学院(14)

最多勝利 聖光学院(19)

出場経験 12校、うち未勝利5校

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