【北北海道】ドラマは9回2死無走者から…旭川実“規格外”チームのミラクル

[ 2018年6月10日 08:00 ]

第77回大会2回戦   旭川実15―13鹿児島商 ( 1995年8月15日    甲子園 )

95年8月15日、鹿児島商を下し喜ぶ旭川実ナイン
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 8月15日が来るたびに思い出す。終戦から50回目の終戦記念日だった。北北海道代表、しかも初出場の旭川実が演じた劇的勝利。甲子園の記者席で、身震いした。

 両チーム無得点は初回だけ。めまぐるしく得点が動いた最後は、2点を追う9回2死走者なしからだった。中学時代のチーム同士の交流が縁で大阪から旭川に来た4番・岡田隆紀は「狙ってくる」と宣言して左越え本塁打。続く5番のエース角井修のゴロは三塁手の手前でイレギュラーバウンドして左翼線に抜けた。場内も、記者席も騒然だった。得点ラッシュで荒れた走路がバウンドを変えたと分かったのは、しばらくしてからだ。そして逆転。「ミラクル」は旭川実の代名詞となった。

 あの夏一緒に過ごしたチームはどこか規格外だった。打撃練習では選手が込山久夫監督(当時)をあおり、監督は真剣に柵越えを狙っていた。甲子園練習では、選手がポケットにしのばせた旭川のグラウンドの土を定位置にまいた。初戦前日の練習はアップだけで終了。監督の絶妙な雰囲気づくりも伏線となった。旭川実に高校野球の面白さを教えられ、今の自分がある。

 個人的にもう一つ思い出がある。試合後、原稿執筆時に原因不明で電源が落ち、バックアップしていなかった原稿が吹っ飛んだ。2度目の“身震い”もまた、忘れられない。

 ◆竹内 敦子(北海道支局)札幌市出身で、入社以来ほぼアマチュア野球担当。旭川実は95年をはじめ夏3度の出場時、全て取材。

 <北海道データ>
夏の出場 152回(通算72勝150敗2分け)
最高成績 優勝2回(駒大苫小牧=2004、05年)
最多出場 北海(38)
最多勝利 北海(21)
出場経験 46校、うち未勝利27校
 ※データは北・南北海道を合算

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