大谷兄が全国切符!トヨタ自動車東日本 創部7年目で初の都市対抗

[ 2018年6月7日 05:30 ]

第89回都市対抗野球大会・東北第1代表決定戦   トヨタ自動車東日本4―2日本製紙石巻 ( 2018年6月6日    岩手県営 )

都市対抗野球初出場を決め歓喜する大谷(中央)らトヨタ自動車東日本ナイン(撮影・沢田 明徳)
Photo By スポニチ

 第89回都市対抗野球大会(7月13日から12日間、東京ドーム)の第2次予選東北大会第1代表決定戦が行われ、トヨタ自動車東日本(金ケ崎町)が4―2で日本製紙石巻(石巻市)を下し、創部7年目で初代表を決めた。エンゼルス・大谷翔平投手(23)の兄・龍太外野手(30)が「1番・左翼」でフル出場。創部当初からコーチ兼任でチームを支えた苦労人が、悲願の大舞台に立つ。

 涙があふれ出た。前が見えず、うまく歩けない。マウンドで歓喜の輪が広がる。左翼手の大谷はグラブで顔を覆いながらゆっくりと輪に加わり、抱き合って喜びをかみしめた。

 「正直、2死くらいからウルウルが止まらなかった。最高です」

 弟・翔平は今やメジャーを席巻する二刀流だが、兄も野球に人生を懸けてきた。東日本大震災からの復興と地域貢献を目的に12年に創部。コーチ兼外野手として入部し、7年目のチーム最年長だ。

 「1番・左翼」で出場し、同点の3回無死一塁では投前犠打を決め、勝ち越しにつなげた。「7年やってきてやっと全国の舞台に出られる」。かつて三菱重工横浜の外野手としてプレーした父・徹さん(56)は夢舞台に立てずに現役を引退した。都市対抗出場は「大谷家の悲願」ともいえた。

 弟は高校卒業後、メジャー挑戦を宣言しながら日本ハムに入団し、二刀流の道を歩んだが、兄は地元のクラブチームでプレー。その後、四国アイランドリーグ・高知を経て、再び地元に戻った。

 「1年目は13人から始まった。投手が野手で出てないといけないところから始まった」。現在は同社工場の安全管理業務に従事。野球部強化に伴いフルタイム勤務から「午前勤務、午後練習」に変化したのは、大谷ら創部メンバーの働きが評価された形だ。この日は4打数無安打だったが、今大会は13打数4安打、打率・308、3打点とリードオフマンの役割を発揮した。

 弟とは今も「LINE」で連絡を取り合うが、「テレビでしか見られないので、もはやファン」と笑う。そんな兄も50メートル5秒8で走り、遠投104メートルを誇る。「意外に“抜けている”ところが似ている。忘れ物が多い。僕は全国大会にほど遠い野球人生だったので、やっと出られると言いたいです」。世界の二刀流が幼少期から追いかけてきたのは、こんな兄の背中だった。 (柳原 直之)

 ▼トヨタ自動車東日本硬式野球部 2012年創部。東日本大震災復興と地域貢献を目的とし、岩手県胆沢郡金ケ崎町に本拠地を置く。「関東自動車工業硬式野球部」として同年4月に新規登録され、トヨタ自動車のグループ会社再編を受け、8月にチーム名を「トヨタ自動車東日本硬式野球部」へと改称した。

続きを表示

この記事のフォト

2018年6月7日のニュース