悪質タックル問題で思い出した甲子園の常連校指導者の言葉

[ 2018年6月6日 15:50 ]

 日大アメフット部の悪質タックル問題は、もはや「悪質タックル」ではなく「パワハラ問題」として日本社会に大きな波紋を広げ続けている。当該選手の「好きだったアメフトが好きじゃなくなった」という発言は多くの人にショックを与えたはずだ。未来のある学生を追い込んだパワハラ行為が明るみに出る度に、言葉にならない怒りと憤りがこみ上げてくる。

 アメリカンフットボールという競技は、プレーごとに作戦が変わり、監督、コーチから各ポジションの選手に細かく指示が出される。指揮・命令系統が厳格なスポーツで、情報番組に出演していたある識者は、日大アメフット部の内田前監督やコーチ陣が指導の名を借りて「理想的な奴隷をつくっていった」と断罪した。まさに、その通りだと思う。

 私が担当している野球も、アメフットとの共通点は少なくない。攻撃側、守備側ともに1球ごとに作戦が変わり、ベンチから細かく指示が出される。プレーヤーは与えられた持ち場で役目をいかに果たすかを求められる。かつては野球も、指導者や上級生による体罰が当たり前だった時代があった。よく「軍隊」など表現されたが、もはやパワハラまがいの行為や発言が許される時代ではない。

 甲子園の常連でもある強豪校の指導者の言葉を思い出した。「もちろん結果は大切だし、目標がなければ努力もできない。ただ、部活動である以上、いかに野球を通じて人として成長できるか。指導する側も“指導者”である前に“教育者”であることを忘れてはいけない」。内田前監督に教育者としての意識はなかったことは言わずもがなだが、その後も不誠実な対応を続けた日大関係者の教育機関としての自覚と危機管理能力、想像力の乏しさはあきれるばかりだ。

 もちろんスポーツ界だけの問題ではない。パワハラ、セクハラ、モラハラ――。どの社会であっても、弱い立場の人間を追い込んだり傷つける可能性がある前時代的な全てのハラスメントに、言い逃れの余地はない。社会問題化した今回の「パワハラ問題」を、社会全体が正しい方向へ進むきっかけにしなければいけない。(記者コラム・重光 晋太郎)

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2018年6月6日のニュース