【甲子園の詩を訪ねて】静岡・桐陽「自覚持って」2度目聖地へ力の源

[ 2018年5月9日 11:32 ]

桐陽の門をくぐると見えてくる甲子園の詩の記念碑
Photo By スポニチ

 作詞家の故阿久悠氏は1979〜2006年にスポニチ紙上で、夏の甲子園大会を題材とした「甲子園の詩」を連載した。作品の中には、甲子園出場校に石碑などとして残されているものがある。全国の「甲子園の詩」をたずねた。

 桐陽(静岡)の門を入ると「甲子園出場記念」と刻まれた輝いた歌碑が出迎える。春夏通じ同校の唯一の出場となった92年夏に広島工に2―3で敗れた2回戦を阿久悠氏が読んだ詩「生れたての」。創部4年目の初々しいチームは甲子園初勝利を果たした。当時は副部長だった柴田泰之監督は振り返る。「歴史のないところからスタートした。松井秀喜の5敬遠があった年で、みんな松井を見て“わー、凄いな”って言っていた」。当時は「まさか甲子園に出場できると思っていなかった。信じられない気持ちで戦っていた」という。1回戦では京都西を3―1で破った。

 2回戦で敗れたものの、阿久悠氏が注目したのが2点差の9回に1点差に迫った粘り。詩の中には「さわやかに戦い さわやかに去る」とある。

 柴田監督の印象に残っているのは「もう生れたてではないのだ」というフレーズ。「甲子園に出たという自覚を持ってやっていかないと。これが続いていくようにしないといけない」と2度目の聖地を目指す。当時の甲子園メンバーの子供が入部してくるようになり「当時のことがよみがえってくるような時期になっている」と話した。

 捕手の金川主将は、詩を書き写して胸に刻んだという。「“若い若いチームは雨で色を変え 風で形を変えて行く花のように”というところがある。創部4年目の若いチームの可能性を感じる」と話す。詩には「第一走者たる権利を得た者は堂々と第二走者にバトンを渡せる」とあり、金川主将は「バトンをつないでくれたからには頑張らないと」と力を込めた。もう「生れたて」ではないのだ。

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2018年5月9日のニュース