「鉄人」衣笠祥雄さん死去 赤ヘル黄金期支えたレジェンド

[ 2018年4月25日 05:30 ]

現役時代の衣笠祥雄さん
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 さらば、鉄人――。元広島で2215試合連続出場の日本記録を持つ衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が23日夜、上行結腸(じょうこうけっちょう)がんのために都内で死去した。関係者が24日に明かした。71歳だった。この日、都内で通夜が営まれ、葬儀は25日に近親者のみで執り行う。お別れの会は未定。広島の黄金期を支え、87年には国民栄誉賞も受賞した「鉄人」の訃報に野球界は悲しみに包まれた。

 世界の鉄人も、病に打ち勝つことはできなかった。衣笠氏は亡くなる4日前の19日、横浜スタジアムでDeNA―巨人戦を中継したBS―TBSの解説を務めた。親族に付き添われて球場を訪れたが頬がこけるなど痩せた姿が目立ち、放送では声が出せずにかすれていた。これが最後の公の場となった。

 衣笠氏は14年夏頃から、がんのため闘病を続けてきた。一時は仕事をセーブしたが、今年に入っても「今シーズンが本当に楽しみだ」と話していた。26日、5月3日にも解説の予定を入れるなど、グラウンドに足を運び、球場の空気を吸うことを望んだ。最後まで「鉄人」としての生きざまを貫いた。

 現役生活は23年間。若手の頃は70万円で買った中古の米国車フォードを乗り回すなど青春を謳歌(おうか)していたが、66年に球団に免許を取り上げられた。合宿所での素振りが日課となり主力に成長。同学年の山本浩二と中軸を担い、75年の広島初優勝など「赤ヘル旋風」を巻き起こした。70年10月から87年の現役引退まで、前人未到の2215試合連続出場。87年6月13日の中日戦ではルー・ゲーリッグを抜き当時世界記録の2131試合連続出場を達成した。71年には右手首を亀裂骨折。76年に左手親指を捻挫した際は添え木をして打席に立った。79年には巨人・西本のシュートを左肩に受けて肩甲骨を亀裂骨折するも試合に出場。自然と「鉄人」の称号で呼ばれるようになった。

 セ・リーグ記録の161死球の一方で、1587三振は歴代9位。フルスイングが持ち味で、周囲から「うまく手を抜け」と言われても「できない。目いっぱい振らないと気が済まない」と愚直にバットを振り続けた。87年には王に次いで球界2人目の国民栄誉賞を受賞。引退後は指導者としてユニホームを着ることはなく、解説の場で野球の魅力をファンに伝え続けた。

 衣笠氏は自身の野球人生を「楽しかったのが30で、70は苦しかった。自分はその70を楽しんだ。24時間野球のことが頭にあった。野球が好きな人間は、野球のことを考えている時間が一番幸せ」と振り返っている。苦しみの中にこそ、活路あり。鉄人として生き抜いた71年の生涯だった。

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