江夏豊氏 盟友・衣笠氏悼む「そのうちオレもそっちに…」体調心配し、20日に電話で話したばかり

[ 2018年4月24日 17:47 ]

衣笠祥雄氏の通夜に出席するため、松山空港から東京に向かう江夏豊氏
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 23日に死去した「親友」衣笠祥雄氏の訃報を受け、江夏豊氏(69=野球評論家)は24日、悲しみに暮れた。

 松山・坊ちゃんスタジアムでのヤクルト―阪神戦のテレビ解説のため、東京から空路訪れた松山市内で「朝、(衣笠氏の)奥さんからの電話で知った。いいヤツだった。青春時代をともに過ごした友人だった」と話した。

 同戦が降雨中止となると、「通夜に出る」と予定を変更して東京に折り返した。午後5時、松山空港に姿を見せた江夏氏は「今日は忙しい」と言った。

 「サチは今は独りで寂しいだろう。まあ、でも、今だけだよ。そのうちオレもそっちに行く。その時にまた野球談義ができる。ちょっとだけ待っていてほしい」

 衣笠氏は今月19日までテレビ解説(DeNA―巨人戦)の仕事をしていた。中継放送を観ていたという江夏氏は翌20日、電話をかけた。

 「あまりに声が出ていなかったので心配になって、“大丈夫か。養生しろよ”と話したんだ。その時は元気そうな声だったけどな」

 江夏氏は「思い出は尽きない」と話す。江夏氏が阪神、南海(現ソフトバンク)を経て1978(昭和53)年、広島入り。衣笠氏と同僚となった。

 79年にはリーグ優勝を果たした。この年、5月28日の中日戦(岡山県営)で衣笠氏が先発メンバーから外れ、連続フルイニング出場記録が途切れた。試合後、江夏氏は衣笠氏といっしょだった。

 「あの晩、サチは荒れて、酔っぱらっていた」と聞いたことがある。衣笠氏から「ピッチャーはええよな。休みがあるから」と言われた江夏氏は「これからは全試合ベンチに入ってやろうじゃないか」と言い返した。以後、リリーフエースだった江夏氏は毎試合ベンチ入りし、83年まで続けた。「サチが言うなら、やってやろうという気持ちだった」と話していた。

 この年、近鉄との日本シリーズ最終第7戦では9回裏無死満塁のピンチをしのいで日本一に輝いた。この投球を作家・山際淳司氏が『江夏の21球』として描写。ピンチにあって、ブルペンで投球練習の準備を始めたとき、自身を信用していないのかと興奮した江夏氏を、衣笠氏が「辞めるときはオレもいっしょだ」と言って、落ち着かせた逸話が描かれている。

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