盟友・山本浩二氏「キヌがいたから私も数字を残せた」かける言葉は「ありがとう」

[ 2018年4月24日 16:15 ]

葬儀場を出る山本氏
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 プロ野球の広島で活躍し、国民栄誉賞にも輝いた衣笠祥雄氏(71歳)の訃報を受け、広島時代に長年クリーンアップを組んだ山本浩二氏(71)が日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」(月〜金曜後1・55)に電話出演。現役時代の思い出を語るとともに「キヌがいたから私も数字を残せたんじゃないかと…」と故人に感謝の言葉を送った。

 自宅で訃報を聞いたという山本氏は3年ぐらい前から具合が悪いことを耳にしていたといい、「先週解説やっていたのを私も見ていたんですよ。声がちょっと元気ないなっていう風に感じましてね」と話した後で「まさかね…」と絶句した。

 衣笠氏は平安高からドラフト制度導入前の1965年に広島入り。同学年の山本氏は法政大から68年ドラフト1位で69年に広島入りした。86年に山本氏が現役引退し、その1年後の87年に衣笠氏が引退。ともに広島ひと筋でプレーし、長年クリーンアップを組んだ。75年には山本氏が3番打者、衣笠氏が5番打者を務めて初優勝。山本氏の背番号「8」と衣笠氏の「3」はともに広島の永久欠番にもなっている。

 「キヌがいたから私も数字を残せたんじゃないかと思いますし、お互いやはり張り合いがあってお互いが成長したという感じですね」と山本氏。2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠氏の現役時代について「痛いところがたくさんあった。当然骨折もありましたし。それでも平気で知らん顔して打席に立つんですね。三振とかした後にベンチ裏に帰って『痛い!』とかね。表には全く見せない選手でしたから。だから、私も休みたくても休めない」と振り返った。

 日本中が“赤ヘル旋風”に沸いた75年には、7月に行われたオールスター第1戦(甲子園)でそろって2本ずつ本塁打を放った。「2人で2打席連続本塁打を打ちましてね。それから”赤ヘル旋風”ってなって。その年に初優勝したんです」。思い出は尽きず、「先日の星野(仙一氏、今年1月4日に70歳で死去)といいね、辛いですよね」と同年代の訃報に衝撃を隠せない“ミスター赤ヘル”は司会の宮根誠司アナウンサー(54)から故人にかける言葉を問われると「ありがとう、ですかね。お互い張り合ってやってきて成績を残したのが。やっぱり2人いたからだと思うんですよね。負けたくない気持ちはお互いに持ってましたから。そういう意味では、本当にありがとう、ですね」と静かに答えた。

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