「かるみ」の境地を目指して――悩ましい「力み」の考察

[ 2018年4月10日 09:30 ]

6日の中日戦の1回無死一、三塁、スパイクの歯がマウンドに引っかかってバランスを崩し、暴投で先制点を献上する藤浪
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 【内田雅也の広角追球】阪神・藤浪晋太郎の悩める現状を象徴するような乱調だった。今季2度目の登板だった本拠地開幕戦、6日の中日戦(京セラ)で、四球、悪送球、暴投、押し出し……と乱れに乱れた。

 降板後、その原因を藤浪は「力み」だと告白している。「抑えようとする気持ちが力みに変わってしまっていた」

 確かに、見るからに余計な力が入っていた。藤浪は制球や球の切れを重視し、俗に言う「脱力投法」に取り組んでいた。テークバックで右腕をだらりと下げ、ゆったりとしたフォームで投げる。力みをいかになくすかがテーマだった。

 何も藤浪に限ったことではない。全くもって、この力みをいかになくすかは野球選手、いやスポーツ選手にとって永遠のテーマである。

 現役時代、左腕からの速球で三振の山を築いた江夏豊(元阪神、南海、広島など)も「力を抜くこと」が最大のテーマだった。『君は山口高志を見たか』(鎮勝也著・講談社)出版記念での山口高志(元阪急)との対談で語っている。「投球のとき自分のなかで一つのイメージはあった。それは力を抜くことや。速い球を投げよう、打者を打ち取ろうとすれば力んでしまいがちだが、それではダメなんや」

 さらに江夏は「力いっぱい投げるのと、力を抜くというのはつながっている」と、力み解消の極意を示している。「いきなり力を抜けといってできるやつはいない。全力投球ができるようになって初めて、力を抜くことができるんや。練習から全力で投げ込んでいるうちに、自然と力の抜き方が身についてくるもんなんだよ」

 投げ込みによって、力を抜くコツを覚えると言うことだろう。日本では古くから、野手がいわゆる千本ノックで疲れてくると力が抜け、捕球や送球のコツを体が覚えると言われる。

 また、通算317勝の鈴木啓示(元近鉄)が「力んでしまう時は、足の小指に力を入れていた」と話していたのを覚えている。引退翌年の1988年2月、阪神キャンプ地、高知・安芸のブルペンで山田久志(元阪急)との会話だった。「どうしても力が入るなら、その力を足の小指に集中させる。やってみれば分かるが、足の小指には力が入らんよ。すると上体の余計な力は抜けるんや」

 方法論はさておき、目指すところの、力みが抜けた先にあるものは何だろう。評論家、渡部昇一がスポーツや芸術の世界で重要な要素を「かるみ」だとしている。

 著書『「人間らしさ」の構造』(講談社学術文庫)で、松尾芭蕉が俳句の最高価値を「わび」「さび」ではなく「かるみ」としている点から、自身の見解を示した。

 ベラ・チュスラフスカ(チェコ)やオルガ・コルブト(ソ連)といったかつての女子体操の名選手を例に出したうえで<つまり、一見不可能なようなことでも、体操選手は軽々とやってのける。すると軽々というのは力の充実を示す最高の表現ということになろう>。

 鈍才がうなる問題を秀才は軽々と解き、SL機関車は重そうに、特急ひかり号は軽々と走る……と例が続く。そして、一休や良寛を引き合いに<人生の達人は「かるい」>とある。

 一休は<やることに努力のあとが見えない>。良寛は子どもらと手まりやかくれんぼをするのが好きで<高度の自己実現はしばしば子供っぽい面を強くしてくる>。

 プロ野球でも、そんな「かるい」選手がいる。代表格が戦後、「青バット」でホームランを量産し、国民的スターとなった大下弘(元東急―西鉄)である。

 毎晩のように酒や遊郭で遊び歩き、練習しないで3割を打てたという伝説がある。巻紙に筆でしたためた日記『球界徒然草』では<子供の世界に立ち入って、自分も童心にかへり夢の続きを見たい>と書いている。

 「力み」の対極にある最高の境地「かるみ」へのカギは、原っぱで夢中で白球を追った少年の心にあるような気がした。 =敬称略= (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 「かるみ」は文章でも目指す境地。駆け出し記者の頃から「文章が重い」と言われ、軽妙な筆致に努めているが、いまだに到達できないでいる。1963年2月生まれ。今春、センバツで連覇を達成した大阪桐蔭ではなく、“本家”の桐蔭高(旧制和歌山中)野球部出身。慶大文学部卒。大阪紙面でのコラム『内田雅也の追球』は連載12年目。

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