井川慶氏が語る伝説の開幕戦 “危篤状態”星野氏の命がけ采配に「奮い立った」

[ 2018年3月30日 12:00 ]

星野仙一氏のお別れ会に出席した元阪神の井川慶氏
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 伝説の東京ドーム開幕から、16年の月日が過ぎた。阪神は巨人戦で開幕したシーズンが過去に10度ある(2リーグ制後)。その中でも星野仙一監督の就任1年目、02年に3―1で勝利した一戦の記憶は今なお鮮烈だ。12年ぶりの開幕戦勝利、井川による球団40年ぶりの開幕巨人戦での完投勝利、そして星野監督の命がけのさい配…。その井川慶氏(38=独立・兵庫を昨年退団)が当時を振り返り、同じく東京ドームで開幕する今年のチームにエールを送った。

 井川氏は28日の星野仙一氏の「お別れの会」にも出席していた。目を閉じると浮かぶのは感謝の言葉だけだ。「ローテに入れて、自分を独り立ちさせてくれたのが星野さん。本当にありがとうございました、と。その気持ちが強いですね」

 阪神、ヤンキース、オリックス。投手出身監督のもとでプレーしたのは星野氏だけだ。育ててもらった恩は今でも忘れない。そして、あの日のことも――。

 02年3月30日。東京ドームで井川は獅子奮迅の活躍を見せた。6年目、23歳での自身初の開幕投手。ほどよい緊張感と責任感がかみ合い、「松井秀さんとか、すごいメンバーだった」という巨人打線を牛耳った。終わってみれば1失点の完投勝利。「巨人との開幕戦での完投勝利」は実に球団史上40年ぶりの快挙で、阪神に12年ぶりの開幕戦勝利をもたらした。その1勝は、名実ともに虎のエースとなった瞬間だった。

 「いつも信頼して出してくれた。悪いときも『この試合は井川に任せる』と。先発として1試合預けてもらうのはうれしかった。言い方は悪いが、きっと自分のための試合もあったと思う」

 あの試合もそうだった。星野監督は「負けてもええから、代えるつもりはなかった」と井川と心中する覚悟で臨んでいた。そして、舞台裏では壮絶なアクシデントも起こっていた。不整脈に見舞われ、5回あたりからベンチ裏のベッドに横たわっていた。タテジマを着ての初陣、しかも相手が巨人で極度の緊張、興奮状態に体が悲鳴を上げたのだろう。

 ぜえ、ぜえと呼吸は乱れていたが、それでも代行で指揮をとる島野育夫ヘッドコーチに「バントせえ」など声で伝達。平田勝男・監督付き広報(現チーフ兼守備走塁コーチ)は「生死をさまよう“危篤状態”で、命を懸けて戦うというのを初めて見た」と震えた。「そこからの開幕7連勝は、選手もみんなその姿を見ていたからだと思う」と続けた。井川も、闘将ぶりが垣間見えて「奮い立ったことも多かった」。勝利後に井川を抱きしめた際はフラフラで、平田広報が後ろでベルトをつかんで支えていた。

 井川は、今年の開幕投手メッセンジャーとは、同時期に阪神に在籍したことはないが実は顔なじみだ。「エースなんで期待しますね。開幕戦でやられるとガクッとなるし、エンジンをかける良いきっかけになってほしい」。自身の現在は現役続行を目指して休養中だが、現チームにエールを送った。

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2018年3月30日のニュース