昨夏の苦い記憶…明徳義塾・谷合 人生初劇弾 最高の“最後の打者”に

[ 2018年3月26日 05:30 ]

第90回選抜高校野球大会第3日・2回戦   明徳義塾7―5中央学院 ( 2018年3月25日    甲子園 )

<明徳義塾・中央学院>9回2死一、二塁、明徳義塾・谷合は中越えに逆転サヨナラ3ラン。本塁打を確信した馬淵監督(右後方)はバンザイ
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 昨秋の明治神宮大会覇者の明徳義塾(高知)は中央学院(千葉)と2回戦で対戦し、1点を追う9回2死から4番の谷合悠斗外野手(3年)が逆転サヨナラ3ランを放った。二刀流の大谷拓海投手(3年)を粉砕した逆転サヨナラ弾は、04年の高橋勇丞(済美)以来14年ぶり史上4人目の快挙。馬淵史郎監督(62)は甲子園通算50勝目を挙げた。

 これが、4番の底力だ。1点を追う9回2死一、二塁。谷合は無心でバットを振った。

 「感触というか、ただその球に必死だった」。打球はバックスクリーンへ飛び込み「歓声が聞こえない状態で一周した」と振り返る。崖っ縁に追い込まれたチーム、そして自身の苦しさを振り払う逆転サヨナラ3ラン。高校通算29号は人生初の劇弾だった。「調子が悪くても勝負を決めるのが谷合」。試合前にそう言っていた62歳の馬淵監督はベンチを飛び出して喜んだ。

 一進一退の攻防の中、4番の仕事ができていなかった。大谷の前に4打数無安打。逆転を許した直後の8回は無死一塁で二ゴロ併殺打に倒れていた。「正直不安だった」と弱気の虫が顔を出す。それでも仲間が2死無走者から演出した名誉挽回の機会。「スイッチを入れ直した」と直球が高めに浮いた失投を逃さず、昨秋明治神宮大会の雪辱に燃える相手を返り討ちにした。

 2年で4番を務めた昨夏の前橋育英(群馬)との2回戦。2点を追う9回2死一塁で三振し、先輩の夏を終わらせてしまった。

 「何であそこを振ったんだろうって。甲子園には思い残すことがある」。苦い記憶とともに冬を越え、くしくも巡ってきた同じ場面。今度は最高の形で「最後の打者」となった。昨年末に右肘と疲労骨折した左足を手術。バットを握れない間に続けた地道なトレーニングが実を結び、「野球ほど日頃の行いが出るスポーツはない」と実感を込めた。

 甲子園通算50勝目を手にした馬淵監督は実に4度も「野球は怖い」と漏らした。8回に絶対的なエースの市川がまさかの逆転を許した。9回には大谷に厳しい攻めをされていた4番に千載一遇の好球。百戦錬磨の名将も予想できない展開で「この試合は忘れられない」と言った。試合直後に指揮官から握手を求められた谷合は「まさか監督から…」と驚きつつ「自分たちの代で60勝も」とさらなる恩返しを誓った。

 《2死からは3人目》明徳義塾の谷合が9回2死から逆転サヨナラ3ラン。センバツのサヨナラ本塁打は史上18人目。うち、逆転サヨナラ本塁打は63年北海の吉沢(ランニング)、90年新田の宮下、04年済美の高橋に次ぎ14年ぶり4人目の快挙となった。なお、2死からは吉沢、高橋に次ぎ3人目。

 ◆谷合 悠斗(たにあい・ゆうと)2000年(平12)8月13日生まれ、岡山県出身の17歳。小2で妹尾ソフトボールに入団し、中学では岡山メッツでプレー。明徳義塾では1年春からベンチ入りし、同年夏の甲子園で5番としてベスト4進出に貢献。2年春のセンバツでは4番で出場し本塁打を放った。1年夏から4季連続甲子園出場中。1メートル78、85キロ。右投げ右打ち。

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