ランはラン――阪神優勝へのサクランボ

[ 2018年3月6日 10:30 ]

<オープン戦 ソ・神>4回、2死一塁、糸原の右前打で三塁へ向かうロサリオ。アウトになったものの、積極的な走塁が目立った
Photo By スポニチ

 【内田雅也の広角追球】大リーグ・カブスのカイル・シュワーバーは昨季、30本塁打を放った強打者だ。ナ・リーグ優勝決定シリーズ第3戦(シカゴ)では1回、ドジャース先発のダルビッシュ有のカットボールを左中間に先制のソロ本塁打を打ち込んだ。

 だが、得点はこの1点のみ。1―6で敗れた。試合後、「ランはランだ」と印象的な言葉を残している。

 英語で得点はラン。走ること、走塁のランをかけているのだ。

 この談話を知ったのはフォローするニューヨーク・タイムズの野球記者タイラー・ケプナーのツイートだった。「いいね?」を押しておいた。

 2番打者とはいえ、体重108キロの巨漢、盗塁も昨季は1個しかなかった。だからこそ、意味はより深くなる。

 長距離打者であろうが、体形が太り気味であろうが、足が遅かろうが……野球は走ってこそ得点につながる、という根本的な姿勢を突いている。

 阪神新外国人の4番ウィリン・ロサリオも100キロ級の巨漢で、長距離打者である。足も特別速いわけではない。それでも走る。次塁を狙う走塁に貪欲である。

 キャンプ、オープン戦でその姿勢を存分に示している。3月3日、ヤフオクドームでのソフトバンク戦。4回表2死、振り逃げ(捕逸)で懸命に一塁に駆け抜け、出塁した。次打者・糸原健斗の一、二塁間突破の右前打で果敢に三塁を狙い、わずかに憤死となった。右翼手・城所龍磨の送球はハーフバウンドで、三塁手・松田宣浩の好捕・好タッチにあった。ギリギリのプレーだった。

 回の合間、三塁コーチボックスに立つ作戦兼総合コーチ・高代延博が通訳を介してロサリオに語りかけていた。

 「いや、責めはしなかったよ」と試合後、高代は言った。「回の最初と最後のアウトを三塁上で取られてはならない」という定説はあるが、前向き走塁の姿勢の方が重要である。「一塁でもう少しリードを取っていれば(三塁は)セーフだったな、と話したよ」

 凡打疾走もすがすがしい。この日は1回表、当たり損ない、ボテボテ投ゴロに懸命に駆けた。

 キャンプ中、2月27日の紅白戦(宜野座)では平凡な浅い中飛で二塁手前まで走っていた。高代は「ああ、あったね。ああした姿勢が若い選手たちの手本になる」とたたえていた。

 3月の福岡で新外国人の激走を見て、1994年の平和台でのできごとを思い出した。ダイエー(現ソフトバンク)新外国人だったブライアン・トラックスラーである。

 遊撃後方へ高い凡飛を打ち上げると、後に「コロコロちゃん」と呼ばれる丸い体形で懸命に駆けた。捕球された時には二塁まできていた。

 その時、ダイエー担当記者の間から「全く打たんのに、走るのだけ必死で」と言い合う声が聞こえた。小バカにしたように笑っている。怒りがわいてきた。しばらく辛抱していたが、あまりに腹立たしく、記者席で立ち上がって言った。

 「打ったら全力で走るのは当たり前じゃないですか!それを笑う記者の方が恥ずかしい」

 まだ若く、年上の記者ばかりだった。笑い声は消え、シーンと静まりかえった。20年以上前の話だが、全力疾走を冷笑するような風潮は確かにあった。情けなかった。

 恥の文化かどうか。日本の野球界には凡打疾走を恥じる心が昔からあったようだ。まだプロ野球誕生前、1931(昭和6)年、大リーグ選抜軍が初めて来日した。日本は東京六大学を中心に全日本軍を編成して戦ったが、全く歯が立たなかった。17戦全敗。大差の惨敗が相次いだ。

 このとき全米軍の一塁手だったルー・ゲーリッグ(ヤンキース)が嘆いている。『日米野球史――メジャーを追いかけた70年』(波多野勝著・PHP新書)にある。

 「日本に大和魂があると聞き、楽しみにして来た。だが残念ながら大和魂はどこにもなかった。凡打だと笑いながら一塁に走ってくる選手がいた。わたしはぶん殴ってやりたかった。大和魂のために」

 痛烈である。「笑い」は照れ笑いか。全力疾走をムダと決めつけ、恥ずかしがる。それこそ恥ずべき姿勢である。

 同書には戦前戦後を通じて、凡打凡走する日本の選手たちを嘆く大リーガーの話が数多く盛り込まれている。

 日本のプロ野球で、凡打疾走が根付いたのは、ごく最近のことだと言えるだろう。トラックスラーが笑われた翌95年、野茂英雄が海を渡り、大リーグが身近になっていった。懸命に駆ける大リーガーたちを見習っていったのかもしれない。

 今では、選手も記者も誰も笑わないはずだ。現阪神監督の金本知憲は2012年、現役引退会見で誇るべき記録を「連続フルイニング出場」よりも「連続打席無併殺打」と語っていた。2000―01年の1002打席連続無併殺打で、凡ゴロで懸命に一塁まで駆け抜けた証だ。自身の打率は下がるが、チームのための疾走だったわけだ。

 さて、冒頭のシュワーバーはFAとなっていたダルビッシュがカブス入りし、チームメートとなったことを歓迎している。シカゴ・トリビューンによると、「チェリー・オン・ザ・トップ」と語っている。直訳すれば「てっぺんのサクランボ」。ショートケーキに乗せるサクランボのように「完璧にする最後のもの」という意味だそうだ。ジグソーパズルの最後のピース、日本で言う画竜点睛といったところか。

 13年ぶり優勝を狙う阪神のサクランボはロサリオの持つ一発強打以上に「ラン」だろう。走力や機動力はもちろん、疾走するひたむきな姿勢が要点となる。=敬称略=(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 平和台球場記者席で声をあげた1994年当時は31歳。遊軍記者として阪神を中心に取材していた。同年7月、ゴルフの全米女子オープンなどの取材で米国特派を命じられると、合間に大リーグ・オールスター戦(ピッツバーグ)を取材した。日本人大リーガーはなく、日本人記者は数人だけだった。

続きを表示

2018年3月6日のニュース