史上初完全試合の前橋・松本、「ザ・ベストテン」久米宏コメントに驚いた

[ 2018年2月28日 10:01 ]

第50回選抜大会1回戦   前橋1―0比叡山 ( 1978年3月30日    甲子園 )

78年第50回大会、比叡山戦で史上初の完全試合を達成した前橋・松本
Photo By スポニチ

 【センバツ群像今ありて〜第1章〜(6)】 あれから40年。中央中教校(群馬)の松本稔監督は甲子園大会史上初の完全試合を振り返り「本当に運が良かった。宝くじに当たったような感じ。実力以上の結果が出てしまった」と笑った。前橋(同)のエースとして78年センバツに出場。比叡山(滋賀)との1回戦で大記録を達成した。

 試合の2、3日前に、調子が上がらず試行錯誤する中でスリークオーター気味に右腕を下げた。「ちょっと腕を振る角度を低くした。その瞬間から指にかかるようにバックスピンがきいて制球も良くなり、カーブの曲がりも良くなった」。身長1メートル68の無名投手は「133、4キロだと思う」という直球とカーブを低めに集め、ゴロアウト17個でわずか78球で大記録を達成。三振5、内野ゴロ17、内野飛球2、外野飛球3の内容だった。史上初だとは知らず、「自分たちが一番弱いと思っていたので、素直に勝てて良かったという気持ち」だけだった。

 だが、周囲が一変した。試合後はカメラマン20〜30人に囲まれ、自分が向いた方へカメラも一斉に移動。球場の外には観客が殺到して、ガードマンが道を開けないと歩けない。「え?こんなことになってんの?」。宿舎でテレビをつければ人気番組「ザ・ベストテン」で司会の久米宏が「今日は高校野球で大変な試合がありましたね」と言い「オー!俺たちのことだぞ!」と驚いた。

 ドラマには続きがある。福井商との2回戦。17歳はマウンドに立つと「テレビの前で何人が見ているだろう…。俺はそんなたいした投手じゃないのに…」と初めて味わうような緊張に襲われた。結果は完投して0―14の大敗。「しかも全国放送されている。17歳にはきつかった。針のむしろという感じだった」と振り返る。

 監督としても春夏2度の甲子園に出場。快挙と大敗の経験が指導に生きる。右腕を下げた成功体験から「野球はテクニックが大事」と語り、緊張で力を発揮できなかった福井商戦を教訓に、選手には「負けたって命がなくなるわけじゃないしね」などと声かけをしている。松本監督は目線を上に向けて言った。「高校野球の神様が、なんで俺たちにほほえんでくれたのかな」。その答えはこの先の野球人生で見つかるのかもしれない。

 ◆松本 稔(まつもと・みのる)1960年(昭35)8月18日、群馬県伊勢崎市生まれの57歳。前橋―筑波大―同大大学院。85年に中央(現中央中教校)の監督に就任。87年夏の甲子園に出場。92年に前橋の監督となり02年センバツに出場した。08年に中央中教校の監督に復帰。保健体育科教諭。

続きを表示

この記事のフォト

2018年2月28日のニュース