和歌山中 センバツVのご褒美は北米旅行 2カ月の大渡航

[ 2018年2月7日 11:00 ]

センバツ群像今ありて~第1章~1927年第4回大会決勝 広陵中VS和歌山中

第4回選抜中等学校野球大会で優勝した和歌山中の選手たち。左は広陵中ナイン
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 昭和となって初めての1927年(昭2)の第4回大会は「優勝チームをアメリカ旅行に招待」という破天荒な特典が話題を呼んだ。和歌山中(現桐蔭高)が「中学球界の麒麟児(きりんじ)」と呼ばれたエース、小川正太郎氏(故人)の快投で優勝、米大陸西海岸へ2カ月間の渡航を果たした。野球振興に尽くした功績で野球殿堂入りした小川氏の「ボールのように丸く」という一丸精神は今に伝わっている。 (編集委員・内田 雅也)

 9回裏を連続三振で締め、優勝を決めた和歌山中(和中(わちゅう))の左腕・小川正太郎は「勝てばアメリカに行けることも忘れていた」と「選抜高校野球四十年史」(毎日新聞社)で振り返っている。

 1927年5月1日、甲子園球場。「8万」と記録にある大観衆が沸き、橋戸頑鉄(がんてつ)(野球殿堂入り)は戦評で「近来まれな決勝戦」とレベルの高さを称えた。田部武雄(明大―巨人)―小川年安(慶大―阪神)バッテリーで連覇を狙う広陵中を10奪三振でねじ伏せた。

 前年12月の大正天皇崩御で服喪し大会は1カ月間延期、3日間に縮小された。開幕4月29日には球春を待ち望むファン10万人が球場内外に押し寄せた。

 大会前、主催の大阪毎日新聞社(大毎)が「優勝チームを米国へ派遣」と雄大で斬新な企画を打ち出し話題を呼んでいた。社会部長・阿部真之助(後のNHK会長)の発案。巨費を投じた企画は8回大会まで続けた。

 紫紺の大旗を手に帰った宿舎で小川は「全員で泣きに泣いた」と感激した。3番打者の土井寿蔵(慶大)は「本当に行かせてくれるのかと誰とはなしに言い出した」。信じられない破天荒さだった。

 渡米選手12人は丸刈りの髪を少し伸ばし、税関手続きや繰り上げ試験を終えた。7月2日、南海電車・和歌山市駅を出発、神戸港から貨客船あふりか丸に乗り込んだ。

 同行の大毎和歌山支局長・安井彦三郎が紙上で日記を書いていた。太平洋航海2週間。船中では毎朝、通訳・北村守光(英文毎日)から英会話のレッスンがあった。小川は英国人、ロシア人との輪投げ競争で優勝した。

 18日、船はカナダに着いた。バンクーバーで日本人会、和歌山県人会が歓迎会を催した。受け取ったカップは今も桐蔭高にある。日系人チーム、バンクーバー朝日軍の選手にも会った。20年に来日し、和中が破った相手。同行した後援会長・出来(でき)助三郎は顔や名前を覚えていた。映画「バンクーバーの朝日」で描かれたように、北米では日系人の排斥運動が広がっていた。

 北米派遣の大毎趣意書には「日米間の諸問題」で「日米の若人がスポーツによって一脈の諒解(りょうかい)を得る」とある。後に戦争にいたる火種がくすぶっていた。

 和歌山は移民が多かった。県人の工野(くの)儀兵衛は「移民の父」と呼ばれ、故郷の三尾村(現美浜町)は「アメリカ村」の異称がある。渡米団は各地で日系人から歓迎された。排日緩和、日米親善の期待が込められていた。

 24日にはアマチュアのケント軍と初の試合を行った。小川は17三振を奪い完封した。遠征中5試合唯一の勝利で後は1分け3敗。小川は「半玄人チームには散々」と振り返っている。大リーグは当時セントルイスが最西端で西海岸のセミプロは相当な実力だった。

 8月1日、サンフランシスコのホテルに着くと、電報が届いていた。和中は控え選手で臨んだ紀和予選決勝、「留守軍勝つ」と夏の甲子園出場を決めた。出来と校長・奥源次は抱き合い、禁酒法時代のためソーダ水で三次会まで夜を明かした。

 一行は滞在30日間で北米大陸を離れ、9月1日横浜港、3日和歌山市駅に帰った。

 小川は和中時代8度も甲子園に出場、早大に進んだ。エンタツ・アチャコが漫才「早慶戦」で宮武三郎(高松商―慶大―阪急)との対決を取り上げるなど人気を呼んだが、胸部疾患で2年からは注射を打ちながら登板するほど。表舞台から消え卒業後は毎日新聞に入社。裏方で社会人、軟式野球の振興に尽くし野球殿堂入りした。

 長男・拡(ひろし)(76)は「やさしい父でした。私に野球を教えることもなかった」と話す。少年時代に紀ノ川の石投げ、和中時代は夜に松の木への投球と、猛練習した小川は「子供には勧められない」と語っていた。

 桐蔭―早大の後輩で62年選抜に出た和中桐蔭野球部OB会関東支部長、武田祐治(72)は、小川から聞いた話を忘れない。「このボールのように、丸くなって、前に転がって行くんだぞ」

 排日や対立の光景を見たからだろうか。小川は「一丸」が信念だった。言葉は代々、今も桐蔭野球部に伝わっている。 =敬称略=

 <1927年の世相>前年12月25日の大正天皇崩御を受け、2月に大葬儀。「円タク」が登場し「モボ・モガ」がブーム。国内初の地下鉄(銀座線)が開通。岩波文庫創刊。夏の甲子園大会で初のラジオ中継。宝塚少女歌劇団(宝塚歌劇団)が国内初のレビュー「モン・パリ」を上演。おまけ付きのグリコ発売。米国ではリンドバーグがニューヨーク―パリ間の大西洋無着陸飛行に成功。ベーブ・ルースが初の60本塁打を放った。海外渡航者数(非移民)は1万3176人(外務省通商局調べ)。

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2018年2月7日のニュース