ボールもバットも待ちわびた「球春」

[ 2018年1月30日 09:30 ]

南国の陽光に輝き、出番を待つ真新しいバージンボールたち
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 【内田雅也の広角追球】“シューレス”ジョー・ジャクソンは毎年、シーズンが終わると、南部の故郷のサウスカロライナにバットを持ち帰った。その理由を聞かれて答えている。

 「少しでも野球をわかっている人なら、バットと打者とは似たもの同士なのをよく知っているはずだ。バットも寒さを嫌うのだ」

 100年前、1910年代に大リーグで活躍した大打者だ。マイナー時代、靴擦れが気になってスパイクを脱いでプレーした逸話からシューレス(靴なしの=はだしの)という異名がついた。ホワイトソックス時代の1919年、ワールドシリーズでの八百長事件「ブラックソックス・スキャンダル」で球界を追放された「悲運の8人」のうちの1人。多くのファンに愛され、殿堂入りに向けた復権、嘆願が今もたえない。

 ジョーが冬の寒さからいたわるようにしていたバットは「ブラック・ベッツィ」の愛称がついていた。子どものころから地元の紡績工場で働き、工場のチームで野球を始めた。15歳でチーム一の人気選手となった。地元のバット製造職人、チャーリー・ファーガソンから上等なバットが贈られた。タバコの汁で二度塗りし、黒く光った。ブラック・ベッツィと土地のあだ名がついた。

 ドナルド・グロップマン『折れた黒バット』(ベースボール・マガジン社)にある。毎日帰宅すると、台所で母親に<今日の“手柄話”をしなかがら、ブラック・ベッツィを取り出し、オイルで磨き始める。磨き終わると、今度は綿布で大事そうに包むのだ>。

 少年時代に手にしたバットを大切に扱う逸話はジョーを題材にしたロバート・レッドフォード主演の映画『ナチュラル』でも描かれていた。

 バットに対する愛着は洋の東西を問わない。「不惑の大砲」とも呼ばれた、プロ野球通算本塁打歴代3位の門田博光(南海など)が自伝的私小説、その名も『我が輩はバットである』(海越出版社)に書いている。

 <ワシは、何度も言うがバットである。しかし、魂を持っているのである><大事な大事な赤子のように扱った。ロッカーでは、スプレーをかけて、せっせ、せっせと磨き込んでから、自分のまっさらなアンダーシャツを、ワシにぐるりと巻いてしまい込んだ>。

 さて、ジョーが「バットも寒さを嫌う」と言ったのは何も南部出身だからではない。野球にはやはり太陽や土や芝が似合う。

 ジョーとほぼ同時期に活躍し、2度三冠王となったロジャース・ホーンスビーは「野球のない冬の間はどうしているのか」と問われて答えている。「窓の外を眺め、春が来るのを待つんだ」

 日本には「球春」という美しい言葉がある。寒い冬の間、シーズン到来を待ち望む野球人が造りだした言葉だろう。

 阪神では多くの選手たちがキャンプ地の沖縄に入った。先乗りしていた阪神園芸のグラウンドキーパーたちが土や芝をきれいに仕上げている。

 ジョーが現代によみがえる映画『フィールド・オブ・ドリームス』の原作、W・P・キンセラの『シューレス・ジョー』(文春文庫)に「おれは野球を愛していた」というセリフがある。

 「肝心なのは試合、球場、匂(にお)い、音だった。あんたはバットかボールを顔に近づけたことがあるかい? ニスの匂い、革の匂い。(中略)そういうものについて話すだけで、おれは生まれてはじめてダブルヘッダーを見に行く子供みたいに体じゅうが疼(うず)きだすんだ」

 バットやボールの匂いに興奮するのは、まさに野球人である。

 さあ、いよいよキャンプインだ。南国の地で封を解かれたバットやボールも深呼吸していることだろう。 =敬称略=  (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 寒い冬の間はストーブの近くで野球に関する本を読むのが無上の楽しみ。炉辺読本とも言うべき、野球書はいくらでもある。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大。2月1日付から大阪紙面で連日掲載の『内田雅也の追球』は12年目を迎える。

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