松江北・楠井 21世紀枠から赤門の道 自信が確信に変わった“決断”

[ 2018年1月24日 10:00 ]

第74回選抜大会1回戦   松江北3―5福井商 ( 2002年3月29日    甲子園 )

02年のセンバツに出場し、福井商を相手に力投する松江北・楠井
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 【センバツ群像今ありて〜第1章〜】 センバツには甲子園出場の機会を広げる独自の出場枠「21世紀枠」がある。2001年から導入され、今年も26日の選考委員会で3校が一般枠33校とともに選ばれる。02年の第74回大会には島根県一の進学校・松江北が21世紀枠で出場。楠井一騰投手は選出が決まる前、受験勉強のため野球部退部を考えていた。東大に進み、東京六大学リーグで1勝を挙げた右腕に思い出を聞いた。 (松井 いつき) =敬称略=

 ◆背中押してくれた手紙

 甲子園が全てじゃない。17歳の楠井はそう思っていた。

 国学院久我山や江の川の監督として甲子園に6度出場した克治さんを父に持つ。小学生の時、父を囲む教え子たちの集いで神宮球場のマウンドに立った。思い出は美しく、大学野球の聖地で投げることが夢になった。「僕の体、僕のセンスでベンチ入りして神宮で投げるには…」。夢を実現する舞台を東大だと見定めた。そのために高校は松江北に進んだ。

 「もちろんやっている時はベストを尽くしますが、甲子園が全てという感じではなかったんです」。1年時からエース。2年秋の県大会で3位に入り中国大会に出場した。初戦敗退し、帰り道に涙がかれるほど泣いた。受験に専念するため、これを最後に退部するつもりだったからだ。

 断たれたはずの甲子園への道がつながる。文武両道を評価され、導入2年目の21世紀枠の中国地区推薦校に。年が明けてセンバツ出場が決まった。松江北にとっては松江中時代の1947年春以来の甲子園だ。

 周囲からの要請を受け、一度切れた気持ちを引き戻し、練習に戻った。そんな時、学校に手紙が届いた。元教師の女性からだった。「中1で弁論大会に出た後、“感動した”と手紙をくれた方がいて。また同じ方でした。“あの時の楠井君ですか。甲子園も頑張って”と。野球関係者でない大人からの声援は、格別にうれしかった」。励ましを胸に準備を積んだ。

 ◆最後と決めて楽しめた

  迎えた大舞台は福井商が相手。キャッチボール1投目を観客席に入れてしまうほど緊張していたが、マウンドでは落ち着いた。「広いな」「ネット裏に親父座ってるな」――。今度こそ、高校野球はこれで最後にすると決めていた。だから楽しんだ。

 初回、1番打者にいきなり三塁打を打たれたが踏ん張った。7四死球を与えながらも、しっかり腕を振り続けた。1―1の7回に3点を与えて降板。逆転負けに終わったが、強豪相手に健闘し、安どの気持ちが強かった。

 野球部員から受験生に戻った。1浪の末、「赤門」をくぐった。野球部に入り、1年秋にリーグ戦初出場。2年春の法大戦で念願の初勝利を挙げた。「東大に受かった時よりうれしかった」という。

 「高校では野球部を途中でやめて、やめたのに1浪して…。だけど、手紙をくれたあの女性のように見てくれている人がいるから、自分が決断したことを一生懸命やっていこうと思えた。決断に自信を持て、確信を得られたのがあのセンバツだったし、社会人になっても生きています」

 東大卒業後、商船三井に入社。昨年11月まで1年半のスウェーデン留学も経験し、現在はフェリー事業に携わる。野球とも、父が千葉幕張ボーイズを指導する縁でつながっている。「野球と受験の両立で悩んでいる高校生もいるかもしれないが、自分で後悔しない決断をしてほしい」。甲子園出場を通じて得難い経験をした、楠井ならではのメッセージだ。

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