斎藤佑樹もう一つの再試合 ダース、肩の痛み忘れ158球「魔法がかかる」

[ 2018年1月17日 10:00 ]

センバツ群像今ありて~第1章~

神戸にあるダルビッシュミュージアムで取材に応じたダース氏
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 この春から甲子園大会にタイブレークが導入される。選手の健康管理を図る新規定で、名場面を残した引き分け再試合は決勝以外ではなくなる。史上唯一、春夏両方で再試合に登板したのが早実(東京)の斎藤佑樹投手(現日本ハム)だ。2006年の第78回選抜大会2回戦。汗を拭う「ハンカチ」は不要の春、関西(岡山)のダース・ローマシュ匡投手と延長15回まで渡り合った。 (取材・大林 幹雄、東尾 洋樹)

 ゼロ、またゼロ。9回までに7点ずつを取り合ったのがうそのように、延長戦で両者はホームが遠かった。試合開始から3時間24分。春夏を通じて甲子園史上6度目の引き分け再試合が決まった。

 斎藤は231球で完投した。最大のピンチは9回。安井一平の3点三塁打で追いつかれた。まだ無死。満塁策しかない。マウンドに野手が集まり、声を掛け合った。投ゴロ併殺、三振。九死に一生を得た。10回以降は2安打しか許さず、15回は3者三振で締めた。

 斎藤「10回、11回…となると点を取られたら終わり。それまで以上に集中した。先を見ないでというのはあったので、それで自分自身、強くなれた」

 1アウトずつ。ダースも同じ心持ちだった。延長に入ってからの安打は同じく2本。14回の打席で抜ければサヨナラという飛球を左翼手・船橋悠に好捕されても、集中力を保って次の回を封じた。

 右肩のことは忘れていた。前年秋の明治神宮大会準優勝後に痛みを覚え、治らず甲子園に来た。痛み止めが効かず、テーピングが頼りだった。初戦は坂本勇人(現巨人)のいた光星学院(現八戸学院光星)相手に159球完投。早実戦は同点の6回1死から登板し、158球を投じた。

 ダース 「インピンジメント(※)といって、今あの痛みでは絶対に投げられない。でも、高校球児って投げられるんですよ。変な言い方ですが、魔法がかかる。俺しかいないと思えば痛くない」

 ただ、関西ベンチは手負いの右腕に再試合までもは託さなかった。斎藤は翌日も先制直後の3回から救援。自ら本塁打も放った。8回、関西が下田将太の2ランで3―2と逆転。早実も粘る。9回1死一塁から船橋が右前打。この打球を右翼・熊代剛が後逸した。同点、さらに逆転の打者走者まで生還した。

 24イニングの死闘。斎藤は9回2死で、前日に打たれた安井を再び満塁で打席に迎えた。こん身の140キロ。捕邪飛に仕留めた。ナイター照明下での整列。季節外れの粉雪が両軍ナインを包んでいた。

 早実は翌日の準々決勝で横浜に大敗。和泉実監督は「バックが守れなかった」と語る。「再試合は投手の疲れに頭がいくが、全員が疲れていたんだと気づいた。夏はみんなをケアした。春の再試合が夏に生きたのは間違いない」。センバツ敗退の143日後、斎藤が駒大苫小牧との2試合24イニングを投げ抜き、夏初優勝を決めた。

 斎藤 「15回を投げた後、やりきったと思っては駄目だと思った。再試合で勝たないと意味がないので、みんなでモチベーションを維持した。それが学んだこと。夏の決勝にも生きたと思う」

 斎藤とダース。2人の足跡は11年に再び重なっている。斎藤が早大から日本ハム入り。高卒5年目のダースと同僚になった。ダースは同年限りで現役引退。現在はダルビッシュ(ドジャースからFA)のマネジャーを務める。12年前の熱戦を回想し「斎藤佑樹の名を知らしめたのは、僕らとの試合かなと思っています」と笑った。 =敬称略=

※インピンジメント症候群は肩を上げていくとき、ある角度で痛みや引っかかりを感じ、これ以上に動かせなくなる症状の総称。投球動作の過負荷で起こる「野球肩」の多くを占める。

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