新井、金本氏殿堂入りを祝福 アニキの教えがなければ、いまの「新井貴浩」はない

[ 2018年1月16日 08:30 ]

05年6月、試合前に新井(左)と打撃談義をする金本
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 【広島・新井 阪神・金本監督殿堂入りを祝福】金本さんに初めて会ったのは19年前、ちょうど今ごろの季節でした。広島の合同自主トレ初日のことです。新人の一人として「新井貴浩です。よろしくお願いします」とあいさつすると、「おまえが新井か。やっちゃるけえのお〜」と。この人には二度と近づくまい…と思いました。

 それが、なぜか公私でかわいがっていただくようになりました。いま振り返っても特別なきっかけは思い浮かびません。気づけば金本さんの背中を常に追いかけていました。金本さんからも食事など事あるごとに「来い」と誘っていただきました。

 当時の広島は主力に故障者が多く、文字通り金本さんが孤軍奮闘されていました。そんな姿を見て、いつか自分もこうなりたい…と強く思いました。2年目の甲子園球場での阪神戦。チャンスで全然打てずに戻ったベンチでヘルメットを叩きつけるように置いたら凄く怒られました。「周りがどう思うのか。一人で野球をやっているんじゃない。空気を悪くして士気を下げるようなことをするな」と。そんな風に常にチームのことを第一に考えていました。

 金本さんが阪神へ移籍した後の2年間は大不振。2005年の開幕前です。バッティングが崩れ、もうどうしていいか分からなくなり、助けを求めました。「俺の言うことをずっと聞くなら教えてやる」と言われ、「すべて聞きます」と。それから毎日のように電話し、いろいろなことを教わりました。

 遠征先のホテルの部屋では窓に自分の姿を映しながら携帯電話を片手にスイング。電話を通して「こうなっています」、「そうじゃない」。そんな繰り返しでした。既に他球団へ移った後なのに嫌なそぶりもみせず、夜遅くまで付き合ってくれました。結果的に43本塁打で初めて本塁打王を獲得。2位が40本塁打の金本さんでした。「なんで俺が指導したやつにタイトルを取られるんや」と言われました。あの時の教えがなければ、いまの「新井貴浩」はありません。

 広島へ復帰した後、「勝負強くなった」と言ってもらったことがありました。ずっと怒られて続けてきて、褒めてもらったのは初めて。うれしかったです。反骨精神にあふれ、男らしさにひかれました。自分にとっては兄のような存在です。本当におめでとうございます。

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2018年1月16日のニュース