【星野の記憶】板東英二氏 最愛の夫人死去に「はかないもんだなあ…」

[ 2018年1月11日 10:30 ]

星野の記憶4~語り継がれる熱き魂~元中日・板東英二氏

12年の春季キャンプで星野仙一氏(右)と練習を見つめる板東英二氏
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 「板(ばん)ちゃん、はかないもんだなあ…」。かつて、彼にそう言われた言葉をそのまま仙に贈りたいです。昨年12月に大阪での野球殿堂入りパーティーで会ったばかり。「良かったなあ」と言うて、僕は鏡抜きまでさせてもらった。体調が悪いとか、全然分からなかった。物凄く見えを張って、元気に見せていたんだと思う。いかにも仙らしい。最後までわがままを通して…。でも、こっちは整理がつかんよ。ショックやなあ。

 中日で一緒にプレーしたのは69年の1年だけ。そこから長い付き合いだけど、彼が涙を流したのは一度しか見たことがない。97年1月、白血病で闘病していた最愛の奥さまである扶沙子さんが51歳で亡くなった。名古屋でのお通夜に東京から駆けつけて、お寺に着いたのは午前0時を回っていたかな。広くて真っ暗な境内に仙が一人、ぽつんと座っていてね。悲しみに満ちた顔で、涙をいっぱいためて「はかないもんだなあ…」って。人生ってはかない。僕だけじゃなく、日本中の野球ファンが今、同じように思っているんちゃうかな。

 情に厚いというより、情にもろい男。人の心をつかむのが抜群にうまくて、その言葉にも意味があることが多い。あとは勝利への執念。これが凄かった。忘れられないのが03年。オフの1月にオーストラリアで私と彼、明石家さんまらでゴルフをやった。プレーの最中、僕がさんまに思わず言ったのが「勝ちたいんや!」のひと言。仙も「勝負事は勝たなあかん!」と言うてね。その言葉が、巡り巡ってその年の阪神のスローガンに。そして優勝。彼は日本中に感動を与え続けた。強烈な男やった。いいやつやった。付き合えたのは本当に誇りに思います。

 天国では奥さまに会って、またわがままを言うとんのちゃうかな。彼が戦場であるグラウンドで思い切り指揮を執れたのは、奥さまのおかげ。でも、奥さまは怒っているかもしれん。「早すぎるよ」って。

 《金本獲得に見せた執念》星野氏はかつて板東の事務所に籍を置き、板東の娘がマネジャーを務めた。印象に残っているというのが、02年オフに広島からFAで金本(現監督)を獲得した時のエピソード。星野氏は交渉の際「ここに電話してこい!」と言って自らの携帯電話を金本に渡そうとしてしまったという。「それぐらい興奮していたというか、(獲得へ)執念があった。自分の気持ちが正直に出たんでしょう」と板東。結局、電話は渡さず、その後に金本から移籍する旨の連絡があったという。

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2018年1月11日のニュース