広島 新井、悲しみに暮れ「残念です」五輪で4番は人生の財産

[ 2018年1月7日 09:32 ]

星野仙一氏死去

広島・新井
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 広島・新井貴浩内野手(40)は6日、楽天・星野仙一球団副会長(享年70)の訃報に接し、悲しみに暮れた。08年の北京五輪で日本代表に選ばれ、星野監督のもとで4番打者として奮闘。自主トレのために訪れたマツダスタジアムで報道陣に対応し、心なしか目を潤ませながら、故人を悼んだ。

 「まったく知らなかった。朝のニュースで知り、ビックリした。お世話になった方。すごく残念です…」

 2008年の記憶が走馬灯のように蘇る。広島から、星野氏がシニアディレクターを務める阪神にFA移籍して1年目。開幕から首位打者争いを演じるなど好調を持続した。7月には同氏が率いる侍ジャパンに選出。盛夏の8月に開かれた北京五輪に出場した。

 「星野さんから“元気だな。頼むぞ、オリンピック”と言われ、4番を打たせてもらった。あの時の経験は、野球人生の財産です」

 遠くを見つめながら思い出をたどる新井。瞳は心なしか潤んでいるように見えた。

 その大舞台。日本はメダルなしの4位に終わり、腰痛を抱えていた4番・新井のバットも35打数9安打、1本塁打、7打点、打率・257と振るわなかった。出発前は見つからなかったが、帰国後の再検査では驚きの診断を告げられる。

 第5腰椎の疲労骨折――。星野監督の期待する声が耳に入っていた。激痛があっても離脱は許されない。日の丸を背負った北京五輪は、新井にとって「野球ができなくなっても仕方がない。それぐらいの覚悟を決めて臨んだ」舞台だった。

 再会は昨春。3月14日、楽天とのオープン戦が組まれた明石球場だった。「“2000安打、おめでとう。よく頑張ったな”と言っていただいた」。これが、心ならずも最後の思い出となった。

 「厳しさの中に愛情のある方。やさしい笑顔が忘れられません。心より、ご冥福をお祈りいたします」

 新井は沈痛な面持ちを崩さないまま、恩人との別れを惜しんだ。(江尾 卓也)

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2018年1月7日のニュース