【星野氏の素顔】闘将を演じ続けた理由 怒りを力の源に戦った改革者

[ 2018年1月7日 08:40 ]

星野仙一氏死去

 どこか、小泉純一郎元首相にも似ていた。阪神監督就任直後、新幹線の車中で単独取材の機会を得たときのこと。「破壊から始める。一からチームをつくり直すんや。時間をかけて変えたものは改革とは言わん。俺は2、3年内に変える。見とけ」。膝の上には経営情報誌が置かれていた。

 闘将を演じ続けたのにも理由があった。「最近の日本人は“怒り”を忘れとる。怒りを忘れた国はいつか滅びる。ならば、せめてスポーツぐらいはそういうものを伝えるのが役目。けんか腰でやらんとな」。熱かった。開幕前。選手のロッカールームのボードに書かれた「決起」集会の文字。ちゃめっ気も込めて自ら「血気」と書き直した。

 「人生楽しんどるわ。俺は死ぬ1週間前までジッとすることはないぞ」。そう笑って話したのは、ほんの数年前。旅行、ゴルフと充実した余生の中でも最大の楽しみだったのが、小学生の孫・智大君とのキャッチボール。「俺の親父は俺が生まれる2カ月前に死んだからできなかったけど…。親子でキャッチボールほど、子供の成長や精神状態が分かるコミュニケーションはないよ」。今はその言葉があまりに切ない。(レース部長、東山貴実 02〜03年阪神付遊軍)

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2018年1月7日のニュース