山本浩二氏 沈痛、昨年12月に電話「体に気をつけえ」が最後

[ 2018年1月7日 05:30 ]

星野仙一氏死去

2017年11月28日、星野氏(左)の野球殿堂入りを祝う会、壇上で笑顔の田淵幸一氏(中央)、山本浩二氏
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 法大の主軸と明大のエースでしのぎを削ってから50年以上の付き合いである元広島の山本浩二氏(71)は都内で「言葉が出ない。あまりにもショックが大きい」と沈痛な面持ちで語った。

 昨年12月の初めに電話で話したのが最後だったという。星野氏の殿堂入りを祝う会が11月28日に東京で、12月1日に大阪で行われたが、お礼の電話がかかってきた。星野氏の「疲れた。2日くらい寝込んでいた」との声に「体に気をつけえよ」と言ったのが最後だった。「祝う会でも、体が細く、顔色も良くないと感じた。声にも力がなかったので、心配はしていた。早すぎる」と悔しさをにじませた。

 大学時代は苦手な投手だったが、プロに入ってすぐ、星野氏からサヨナラ打を打った。ベンチの敬遠指示に星野氏が内角に4球ボール球を投げてきたこともあった。ともに監督時代にはつかみ合いもした。「全てが思い出。“おい”“おまえ”の間柄で余計な言葉はいらない。(08年の)北京五輪では私とブチ(田淵氏)と3人が監督、コーチで同じユニホームで戦えた」と振り返った。

 山本氏は野球界への恩返しを強く誓う。「仙(星野氏)の遺志を少しでも継いでいけたらとの思いはある」と盟友を思いやった。

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