人口激減、野球少年も減る浜通りで…ソフトB内川が続ける“寄り添う支援”

[ 2017年12月21日 10:20 ]

野球教室の終わりに、記念品を渡して野球少年たちと握手を交わす内川
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 ある少年が顔を赤くしながら、友達に話し掛けていた。「やべぇ、今日は帰って手を洗えないな!!」。握手の相手は女優でもアイドルでもなく、ソフトバンクの内川聖一外野手(35)。今月10日に福島県南相馬市で行われた、同選手の野球教室での一幕だった。

 大分出身。地元の高校から横浜(当時)―ソフトバンクと渡り歩いた内川が、福島で野球教室を開くのはなぜか。きっかけは13年。同県いわき市で行われたオールスターでMVPに輝いた。その獲得賞金で「被災した子供たちに還元できないか」と野球教室開催を提案し、翌14年から4年連続で実施。「福島に来ることがモチベーションというか、子供たちに良い報告がしたいと頑張れている」と原動力にもなっている。

 野球教室だけではなく、前日に現地に入り、津波や原発事故の影響が色濃く残る地域を視察。「(復興が)去年より進んだねって部分も見せてもらえたし、まだ大変なんだなという部分も見せてもらえた。野球選手として何が出来ると言われると、寄り添おうという気持ちだけでも持っていたいと思うし、だからこそ回数を続けたいと思う」と継続することの大切さを訴えた。

 震災から来年で8年。その余波は子供たちの競技環境にも及んでいる。野球教室が行われた福島の太平洋沿岸、いわゆる浜通りと呼ばれる地域の多くで、人口は激減。避難先から戻れない、または戻らない人が多く、元の姿を取り戻せない。野球少年も減る一方。中学や高校の連合チームの数は急増し、福島県高野連では、現在6つある支部を再編する議論が進められている。「仲間が足りない」現実は、あまりにも重たい。この9月まで3年間福島で暮らした記者も、そうした現状を目の当たりにし続けた。

 年に1回の野球教室が、現実を劇的に変えることはないだろう。それでも、スーパースターが寄り添い続けることで、前を向き、心を豊かにする「きっかけ」をつかむ子供たちは確実に増えるはずだ。多くの野球少年が笑顔で帰路に就くのを見て、こちらも何だか自然と頬が緩んだ。(池田 翔太郎)

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