【決断】阪神・高宮 タテジマが2人の夢だった 父に感謝の0封締め

[ 2017年12月9日 09:19 ]

阪神・高宮和也投手(36)

掛布監督(左)のラストマッチで最後を締めた高宮。自身にとっても最終登板になった
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 掛布2軍監督のラストマッチとして甲子園で行われた9月28日のウエスタン・リーグ、広島戦の9回。高宮は志願してマウンドに上がった。

 「引退とかは決めていなかったけど、阪神では最後の試合になると分かっていた。親父は阪神で投げている姿を見るのが一番うれしかったやろうし。前日に掛布さん、投手コーチにお願いした」

 ネット裏には父・郁さんの姿があった。少年野球ではコーチを務め、「イロハ」を教わった。高校卒業の際、野球をやめ、マスコミ系の専門学校へ進学しようとした時も「続けろ」とプロへと続く道を示してくれた。

 「親父も俺も阪神ファンで、タテジマを着ることが本当に夢やった。2軍やったけど、最後にしっかり投げているところを見せたかったから」。最後の1イニングを無安打無失点で締めくくった。自らの野球人生に寄り添ってくれた父への感謝を白球に込めた。

 その4日後の10月2日、球団から戦力外通告を受けた。現役引退を表明していた先輩の安藤からは「おまえは左だから、他球団でもまだできるよ」と現役続行へ背中を押されたが、決心はついていた。「例年、夏場に球威が上がってくるんやけど、今年はそれもなかった。まだできる悔しさもあるけど、やるからには一年間、フル回転する自信がないと。その自信は俺に、もうなかったから」

 横浜(現DeNA)、オリックスと渡り歩いて12年。節目を迎え、思い返すのは、やはり憧れの「タテジマ」で輝きを放った14年のCSファイナルステージだ。

 巨人の主砲・阿部を初戦からの3連投で3打数無安打2奪三振に抑え込んだ。日本シリーズ進出に貢献した。「あの緊張感は今でも覚えている。初戦にマウンドに上がる時に足が震えた。プロ初登板より緊張したな」

 今後は地元・大阪のスポーツ店に勤務し、プロ野球選手としての経験を生かし、野球教室なども行っていく。親しみやすい性格で阪神では、若手の信頼も厚かった。

 「やっぱり島本とか守屋とか、鳴尾浜で一緒にやっていた選手には頑張ってほしいよな。それを見ていくのが、また楽しみ。甲子園にあいつらの投げているところを見に行くわ」。ユニホームを脱いでも聖地に足を運び、一緒に汗を流した選手の成長を見守っていく。 (遠藤 礼)

 ◆高宮 和也(たかみや・かずや)1981年(昭56)12月4日、大阪府生まれの36歳。大体大浪商、徳山大、Honda鈴鹿を経て、05年大学生・社会人ドラフト希望枠で横浜(現DeNA)に入団。10年オフにトレードでオリックスへ移籍。13年1月、平野のFA移籍に伴う人的補償で阪神入り。15年に救援で自己最多の52試合登板。1メートル74、81キロ。左投げ左打ち。

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