日体大 37年ぶり日本一 帝京大ラグビー部参考に改革

[ 2017年11月16日 05:30 ]

明治神宮野球大会最終日・大学の部決勝   日体大3―0星槎道都大 ( 2017年11月15日    神宮 )

<星槎道都大・日体大>伝統の応援「エッサッサ」を披露する日体大ナイン
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 大学の部の決勝が行われ、日体大が星槎道都大を3―0で下して80年以来37年ぶり2度目の優勝を果たした。来秋ドラフト候補の152キロ右腕・東妻勇輔投手(3年)が、105球を投げて2安打完封。今大会は3試合中2試合に登板して12回2/3を無失点と完璧な投球で、他部は五輪金メダリストを数多く輩出する中、野球部も存在感を示した。

 最後の打者を右飛に仕留め、1メートル70の東妻が体を目いっぱい使って大きく跳びはねた。スカイブルーのユニホームが重なり、歓喜の輪が広がった。表彰式後には日体大の伝統の応援「エッサッサ」がスタンドで披露され、喜びを分かち合った。

 「(野球人生で)優勝投手になったことがなかったので、最後まで投げたかった。他の投手から“最後はいかせろ”と言われていたけど、“出番はねえ”と」。救援した13日の準々決勝・九州共立大戦は3回2/3で9奪三振だったが、この日は4奪三振。完投を意識して打たせる投球に切り替え、得点圏に走者を置いたのは2度だけだった。

 日体大は内村航平らを輩出した体操部など、OBにも五輪金メダリストが並ぶ。一方、野球部の全国制覇は80年の明治神宮大会の1度だけ。他部に負けじと、古城隆利監督はP・ドラッカー著「マネジメント」や、無敵を誇る帝京大ラグビー部の岩出雅之監督の指導法を参考にし改革に着手した。

 2年前に下級生の役割だった掃除などの雑用を上級生の担当に変更。下級生の練習時間を増やした。また、部員171人の大所帯のため、2、3軍で5チームを編成してリーグ戦を開催。1軍以外も実戦経験を積み、戦力の底上げを図った。

 9月に1年生部員の相曽(あいそ)幸宏さんが髄膜炎で急死。亡き球友に悲願の日本一をささげた。試合後のインタビュー。古城監督は「負けて泣くより勝って泣こうと。通過点を乗り越えた」と目を潤ませた。来秋ドラフト候補の東妻、松本の二本柱を中心に常勝軍団への第一歩を踏み出した。 (東尾 洋樹)

 ▼日体大 1949年に設立。東京・世田谷と神奈川・横浜にキャンパスがあり、体育学部、スポーツマネジメント学部など4学部。野球部は52年に創部し、首都大学野球で23度のリーグ優勝を誇る。エース白武佳久(元広島)を擁して優勝した80年の明治神宮大会は、決勝で亜大に勝利。亜大の1番は元オリックス監督の大石大二郎だった。

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