行間から想像する世界 栄光にたどりついた元・落第生の過去

[ 2017年11月3日 09:30 ]

ワールドシリーズでMVPとなったアストロズのスプリンガー(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】米コネティカット州の州都ハートフォードの郊外にニューブリテンという町がある。ブリテン(Britain)なのに英国系ではなくポーランド系移民がひしめく町。実はバスケットボールという競技では歴史的な場所だ。

 この競技は1891年12月21日、ニューブリテンの北50キロにあるマサチューセッツ州スプリングフィールドで誕生。YMCAの体育教官だったカナダ出身のジェームズ・ネイスミス氏が「冬季に室内でできる新たな競技を!」と発案して生まれたスポーツだった。しかし当時はまだドリブルというコンセプトがなかった。

 それはその4年後、このニューブリテンにあったYMCAの体育館で出来上がった当時としては革新的なスキル。バスケットボールに携わった人間なら一度は訪ねておくべき“聖地”かもしれない。

 2004年。そのドリブルの聖地にあるニューブリテン高校に、運動神経抜群の1年生が入学してきた。しかし、彼はバスケに見向きもしなかった。身長は1メートル58。それがすべてではなかったろうが、背が低いから野球をやった…。そう考えるのが自然だと思う。

 選択は間違っていなかった。ただあまりにも野球で才能を発揮したので、野球には縁の薄いチームでは物足りなかったのだろう。そこで彼は2年生になると、隣町にあったスポーツが強い全寮制の私立高校に転校。すぐにその評判はコネティカット州全域に広まり、2008年の大リーグのドラフトでは48巡目という遅い指名ながらツインズに指名されている。

 「まだ準備が整っていない」と結局、地元のコネティカット大に進学するが、人気度的にアイスホッケー、ラクロス、フットボールの格下扱いだった野球チームは一目置かれるようになった。

 ただし問題は学業成績。なにせ1クラスで生徒11人という少数精鋭の男子校。さぞかし授業は厳しかったのではないかと思う。なのでスポーツ選手であっても何一つ優遇などされない。だから隣町の公立高校から転校してきた背の低い野球少年は高校3年を2度経験するはめになった。いわゆる落第。これで大学進学は1年遅れてしまった。

 さてここまでは彼のプロフィルを読んだにすぎない。しかし、苦労と苦悩のあとは行間ににじみ出ている。落第を宣告された時にはさぞかし悔しかったはずだ。しかし、そこからはい上がってきたのだからたいしたものだ。

 その落第した元生徒は十代後半になって背が伸びて今は1メートル91。体重も100キロとなって堂々とした体格になった。そして、11月1日、大リーグのワールドシリーズでアストロズの初優勝に貢献し、シリーズで5本の本塁打を放ってMVPとなった。

 不動の1番打者でセンターを守るジョージ・スプリンガー。コネティカット大から2011年のドラフトでは1巡目(全体11番目)に指名されながら、マイナーで292試合も出場するなどなかなかメジャーに定着できなかったが、ここ2シーズンはチームの主力として存在感を示している。

 ダルビッシュ有(31)からは第3戦と最終第7戦で本塁打を放ち、ドジャースの野望を打ち砕いた。しかし、その笑顔にたどりつくまでの“汗”が彼のプロフィルと成績にはしみついている。

 決して天才ではないのだ。歓喜の瞬間を迎えるまでの努力と粘りが、28歳となったスプリンガーの人生を支える財産なのだろう。29打数11安打7打点。ドリブルの町から誕生したヒーローのプロフィルは読んでいて実に楽しかった。

 背が低くても、落第しても、下積み生活が長くてもワールド・チャンピオン。仲間と抱き合うスプリンガーの姿を見て「意思あるところに道は開ける」ということわざが脳裏をよぎった。(専門委員)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市小倉北区出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。スーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会に6年連続で出場。

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