【日本シリーズ回想】王氏が語る長嶋氏とのONシリーズ「監督として競い合えた幸せは最高の思い出」

[ 2017年10月24日 11:30 ]

20世紀最後の年に実現したONシリーズ決戦!試合前に握手を交わす巨人・長嶋監督(左)とダイエー・王監督
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 【あの秋〜日本シリーズ回想〜(1)】 深まりゆく秋の風物詩、プロ野球の日本シリーズがいよいよ28日に開幕する。シーズンの最後を飾る球界最大のイベントは、これまで数々の名場面、ドラマを生んできた。中でも注目を集めた過去のシリーズを野球取材歴40年の宮内正英編集主幹が新たな取材を加えて検証する。第1回は2000年の「ONシリーズ」。

 20世紀最後の年。西暦2000年に実現したのがONシリーズ決戦だった。巨人V9の大功労者であり、その後も日本球界をけん引してきた両雄。長嶋茂雄と王貞治が、覇権を懸けて激突するミレニアム対決はファンのみならず球界全体にとって願ってもないタイミングだった。

 だが、周囲のけん騒とは裏腹に当の長嶋、王は沈黙を貫いた。開幕前日に行われる監督会議。丁々発止の舌戦が展開されることが少なくなかった前哨戦の場。しかし、この時はルールなど最低限の事務的確認が淡々と行われただけ。2人が発言することはなく、気配を察したダイエー助監督の黒江透修、巨人ヘッドの原辰徳も言を控えた。所要時間わずか15分。「ONにはONにしか分からない阿吽(あうん)の呼吸があるんだ」とは王の言葉だ。

 共に巨人軍監督を解任された過去がある。優勝を義務づけられる、巨人軍監督ゆえの重圧。「箸の上げ下げまで監視されている」と巨人時代に王がこぼしたこともある、片時も息が抜けない衆人環視の生活を強いられていた。長嶋が監督として初の日本一に輝いた翌95年、王はダイエー監督に就任した。巨人OBをコーチに招集しない“単身赴任”。まさに裸一貫の再スタートだった。チームはそれまで南海時代から6度の最下位を含め、17年連続Bクラス。王も就任から3年間はBクラスに甘んじ、生卵をぶつけられたこともあった。前年に初の日本一を遂げ、連覇を目指して臨んだのがON決戦だった。

 かつて王は口癖のように言っていた。「巨人の4番は球界の4番でなくてはならない」。2連敗の後に4連勝。巨人6年ぶり19度目の日本一で幕を閉じたミレニアム決戦。MVPに輝いたのは21打数8安打、3本塁打、8打点の活躍を見せた「巨人の4番」松井秀喜だった。

 今、王は振り返る。

 「選手として長年競い合ってきた長嶋さんと、監督として競い合えた幸せは最高の思い出。個人勝負ならともかく、組織と組織で戦えることなんてそうあるものではないから」

 そして付け加えた。

 「あの時の松井は体が大きくなり、脂も乗り切って飛距離が素晴らしかった。巨人というより日本の4番打者であることをファンに証明した瞬間だった」

 自ら長く君臨した日本の4番の座。長嶋が入団以来「1000日計画」で育て上げた後継者をこの時、目の当たりにした王はうれしかったに違いない。 =敬称略=(宮内正英編集主幹)

 ◆2000年日本シリーズ 第1戦は5―3、第2戦は8―3でダイエーが敵地・東京ドームでいずれも逆転で連勝。巨人は福岡ドームの第3戦に9―3で勝つと、イベント開催による2日間の中断を挟んで3連勝で王手。第5戦では高橋尚がシリーズ初の新人による初登板初完封勝利も挙げた。東京ドームでの第6戦は3回に松井のシリーズ3号2ランなどで逆転。9―3で勝ち、4連勝で6年ぶり日本一に輝いた。

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