【阪神・新井と一問一答】一番の思い出は「兄と打ったアベック本塁打と…」

[ 2017年10月12日 05:30 ]

阪神・新井良太引退会見

引退会見で、球団スタッフから花束を受け取る新井良太
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【良太と一問一答】

 ――10日の試合を振り返って。

 安藤さんの引退試合ということでしたので、目立たないというか、こっそりやろうと思ったんですけど、みなさんがああいう風に送り出してくれたので本当に感謝しかない。

 ――涙をこらえるような姿もあった。

 そうですね。いろんな思いが走馬燈のように頭の中を駆け巡っていたので泣くのを我慢するのに必死でした。

 ――安藤の登板時にファインプレー。

 安藤さんには公私ともにお世話になっていまして、ああいう風にボールが飛んできて、たまたまですけど処理できた。運命とは言わないですけど、すごい巡り合わせだなと思いました。

 ――2打席の印象は。

 真っすぐを投げてくれていたんですけど、打てなかったんで…。まあ、だからだめなんじゃないですか(笑い)。ホームラン打ちたいと思ったんですけど、ダメでした。

 ――胴上げもされた。

 福留さん、鳥谷さんが言ってくださってああいう形になったらしいんですけど、先輩、後輩に感謝しかないですね。

 ――ファンの歓声もすごかった。

 ファンの方があってのプロ野球だとずっと思ってきましたし、改めて野球をやらせてもらったという感謝しかない。

 ――引退決意の経緯は。

 1年、1年が勝負なんですけど、今年は本当に一番強い覚悟を決めて臨んだというか、そういう腹をくくって臨んだシーズンでした。いい意味でいろんなことを考えさせられて、経験できた。

 ――決断の理由は?

 やっぱり、数字のけじめは取らないといけないのかなと。そういう気持ちでした。プロ野球選手は1軍の舞台にいて、そこで結果を出してなんぼだと思います。

 ――家族の反応は?

 一番最初に相談したのは兄(広島の貴浩)だったので。7月のオールスター明けくらいから考えていて、兄は「お前が決めたらいい。やる、やらんどちらにしても、お前が決めたらいい」と親身になってアドバイスをくれました。両親はもう少しやってほしそうでしたけど、兄が「お前の人生なんだからお前が決めたらいい」と言ってくれました。

 ――10日の試合後に兄とは会話したのか?

 穏やかな感じでした。電話でしゃべって“最高に良かった。感動した”と。僕がありがとうと言うと“お疲れ様”という風に言ってもらった。

 ――兄はどんな存在?

 自分の一番の味方であり、兄の一番の味方は自分だと思っています。

 ――阪神での現役生活を振り返って。

 やっぱり、11年の秋のキャンプでつきっきりで指導していただいて、12年にちょっと試合に出してもらった。本当に(打撃コーチの)片岡さんには感謝しています。これでダメだったらもういいと思えるくらい教えてもらいましたし、この人についていこうという方でした。

 ――同じ甲子園でユニホームを脱いだ。

 去年、今年と思うように結果を出せなかったので、申し訳ないというか、もっと自分が打って恩返ししたかったですね。

 ――金本監督の反応は?

 監督は“おう、そうか、分かった”みたいな感じでした。分かっていたんじゃないですかね。たくさんの言葉はなかったですが、雰囲気で。

 ――阪神での一番の思い出は?

 サヨナラヒット、サヨナラホームランもすごく印象的ですし、兄と打った(3本の)アベックホームランも印象的なんですけど、昨日の試合が一番です。あれだけ「良太、良太」と言ってくださってね。選手冥利に尽きます。

 ――7年間の阪神での生活は?

 辛いこと、苦しいことがほとんどでしたけど、甲子園でプレーできる、阪神ファンの大歓声の中でプレーできる。そのことを励みにしてきましたし、それがあったから頑張れたと思います。

 ――仲間の支えもあった。

 監督、コーチ、裏方さん、チームスタッフ、先輩、かわいい後輩たち、本当にみんなに良くしてもらって。こんなに良くしてもらっていいのかな、という7年間でした。

 ――10日の試合でもあった。

 守備につく前に鳥谷さんから「キャッチボールやろうぜ」と言ってくれて。一番お世話になっている方なので。後輩は僕が涙をこらえているのを気まずそうに見ていました。話しかけていいのか…。

 ――最後まで声を出し続けた。

 へたくそで不器用で、それだけでやってきたので。そのプレースタイルは最後まで貫けたのかなと思います。

 ――片岡コーチも良太の声は戦力と言っていた。

 声とか気持ちとかで結果が出るほどプロ野球の世界は甘くないと分かっているんですけど、それがないと戦うことができないと自分は思っている。最後までやりきりました。

 ――4番も打った。

 チャンスはそんなに多くない中で、自分はたくさんあった。チャンスをもらえるまでは結果が出て、そこから奪い取る、つかみ取るというところまではいけなかった。それはやっぱり自分の技術不足。それしかない。人よりチャンスはもらって、結果を出せなかったのは自分の未熟さ。

 ――一夜明けの心境は?

 本当にすっきりしてます。皆さんのおかげで、最高の思い出になりました。

 ――今後については。

 まだ何も決まっていないので、ゆっくり考えたいと思います。

 ――寂しさは?

 やっぱり寂しさはありますね。

 ――ファンへのメッセージを。

 12年間、中日ドラゴンズで5年間、阪神タイガースでは7年間、こんな僕をたくさん応援していただいて、励ましていただいて、本当にありがとうございました。最高の12年間を皆様のおかげでおくれました。感謝しています。

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