ヤクルト退団の伊藤智仁コーチ 日体大で勉強していた つば九郎が明かす

[ 2017年10月6日 20:47 ]

93年当時の伊藤智仁コーチ
Photo By スポニチ

 ヤクルトの球団マスコット「つば九郎」が6日、自身のブログを更新し、今季限りで退団する伊藤智仁1軍投手コーチ(46)が現役引退後に日体大に通ってリハビリや運動学の勉強をしていたという”秘話”を公開。「しょっくでした。まなかさんにつづき。。。」と真中満監督(46)とともに今季限りでチームを去ることになった大好きな「ともひとさん」との別れを惜しんだ。

 つば九郎は「20→21→84えみふる。」とエントリー。1994年デビューとヤクルトでの同期生だった真中監督へメッセージを送った4日付ブログと同様に、伊藤コーチの現役時代と指導者になってからの背番号に「笑顔がいっぱい」を意味する”つば九郎語”を加えたタイトルをつけた。

 そして、「ともひとさん。ながいつきあいになりますね。1993ねんに、にゅうだん1ねんめで、しんじんおうをかくとした、つぎのとしに、つばくろうは、ちーむめいとになりました」と出会いをつづり、「94ねんからの、ともひとさんは、いくどのしゅじゅつと、りはびりのひびでしたね。97ねんのふっかつくらいから、なかよくなりましたね〜。ぱとろーるもよくいき、ごちになってました!でも、しばらくして、また、ともひとさんのみぎうでは、ひめいをあげ、またも、とだでの、ながいりはびりがはじまりました」と、唯一無二の“高速スライダー”という武器を持ちながら相次ぐ怪我に泣かされた伊藤コーチの現役時代を回想。埼玉・戸田の2軍練習場でリハビリに明け暮れていた当時には、こっそりとその姿をのぞきに行ったこともあると打ち明けた。

 「なにをするにも、みぎかたをさすったり、ひねったりとするすがたを、みてるだけなのに、なみだがとまらなかった。どんなきもちなんだろうと・・・。すぐよこでは、ふぁーむのしあいやってるのに、ともひとさんは、ひとりでした。まいにちまいにち、そのときだけをしんじて、けがとたたかっていましたね」。

 結局、伊藤コーチは2001年に1試合登板したのを最後に1軍のマウンドへ再び上がることなく03年シーズン限りで現役引退。翌04年から2軍投手コーチに就任した。そして、「このはなし、してもいいかな・・・」とつづったつば九郎は「じつは、げんえきをいんたいしてから、ともひとさん、にったいだいに、りはびりや、うんどうがくのべんきょうにかよってましたね。りっぱなおとなになってからの、がくせいです」と指導者1年生の伊藤コーチが日体大へ通って勉強していたことを明かした。「そんなともひとさんも、のこりしあいすくなくなったところで、やめることをしりました。しょっくでした。まなかさんにつづき。。。」とつば九郎。「こーちになってもたくさんのおもいでがあります。まだまだいっしょにたたかたかった。。。」とたどたどしい言葉で別れを惜しんだ。

 そして、「1993ねん〜2017ねんまで、やくるとすわろーずひとすじのおとこが、ゆにふぉーむをぬぎます。ごかぞくのみなさん、いろいろとあったげんえきから、こーちじだいまで、おつかれさまでした、ありがとうございました。しばらくは、かぞくみなさんで、ゆっくりとやすんでください。そして、ともひとさん。また、いっしょに、じんぐうで、たたかいましょう、てっぺんめざして!いつかもどってくるひまで、みんなまってます」と伊藤コーチとその家族に感謝のメッセージを送ると、「だいすきな、そんけいするぴっちゃー、ともひとさんへ。つばくろうより。」とあえて「投手コーチ」ではなく「ぴっちゃー」の「ともひとさん」へのメッセージでブログを締めくくった。

続きを表示

2017年10月6日のニュース