事前面談の意味――清宮と清原のドラフト狂騒曲

[ 2017年9月30日 11:00 ]

「清原、阪神に好返球」と面談内容を伝える1985年11月16日付のスポニチ(大阪本社発行)1面
Photo By スポニチ

 【内田雅也の広角追球】異例の面談と聞いて思い出す光景がある。丘陵に広がる秋空と赤い夕日である。入社1年目の1985年(昭和60)秋、駆け出しの野球記者として毎日のように大阪・富田林市のPL学園に通った。清原和博選手に対するプロ12球団の事前面談が行われていた。

 ドラフト会議(10月26日)の超目玉、清宮幸太郎選手(早稲田実)が近く、プロ球団との面談に臨む。ドラフト前に巻き起こる、高校生スラッガーの熱気と興奮は、あの32年前の清原以来ではないだろうか。

 春夏の甲子園大会で史上最多の通算13本塁打、高校通算64本塁打を放った清原もまた、今の清宮のように、ドラフト会議(11月20日)の超目玉だった。鳥取国体終了後に日本高校野球連盟(高野連)に退部届を提出し、プロとの接触が解禁された。面談は学校が窓口となった。

 当時、プロ志望届という制度はなかった。この年、「KKコンビ」と呼ばれたPL学園の同窓生、桑田真澄投手は早大志望を打ち出し、退部届も未提出だった。それでも巨人が1位指名し、入団に至る騒動が巻き起こった。退部届だけではトラブルを防げないため、2004年にプロ入りにはプロ志望届の提出を義務づけた。

 さて、清原の面談は11月3日から5日まで3日間で12球団が終えた。清原本人と中村順司監督、高木文三野球部長が同席した。

 さらに追加の面談希望球団には両親も同席で2度目の場が設けられた。11月11日から15日まで、場所を学校敷地内の野球部寮「研志寮」に移して行われた。

 2度目は9球団に減った。ヤクルト、大洋(現DeNA)、阪急(現オリックス)の3球団は清原から手を引いたのだった。もちろん、他にも有力選手はいたし、補強ポイントが違ったこともある。そして、面談での感触が良くなかったこともあるだろう。

 清原は王貞治氏(当時巨人監督、現ソフトバンク会長)にあこがれ、巨人入りを熱望していた。巨人以外でも阪神、中日などセ・リーグ入りを希望していた。

 先に1位指名を公表していた阪神との2度目の面談では藤江清志編成部長が「交渉権を得たら来てくれるか」との問いに、清原は「はい、お世話になります」と即答。阪神は相当な好感触を得た。

 巨人は伊藤菊雄スカウト次長が「野手では一番の評価」と伝えると、母・弘子さんが「1位で指名するという約束はなしですね」と返した。伊藤次長は「1位は投手か野手か、まだ決めていない」と確約しなかった。

 また、息子の本音を聞いた父・洋文さんが記者団に「息子はセ・リーグ希望。パ・リーグなら日生に行くと話している」と明かした。先に社会人・日本生命から入社内定を得ていた。間接的ではあるが、「逆指名」のような様相だった。

 ドラフト本番で1位入札したのは西武、中日、阪神、日本ハム、南海(現ソフトバンク)、近鉄の6球団。抽選の末、交渉権は西武が獲得。桑田の巨人1位指名もあり、清原は涙した。

 つまり、清原の希望はともあれ、2度の面談で12→9→6と絞られたわけである。ただし、昔も今も高校生選手に「逆指名」の権利はない。個別の球団について、希望や拒否を公にするのはドラフト制度の精神にそぐわない。

 日本高野連の竹中雅彦事務局長は「プロ志望届は“プロに行きます”という意思表示。逆指名のように意中の球団名を語るのは好ましくない」と話した。「プロ野球という会社に就職し、入社後に配属先の部署が決まると考えてほしい」。昔からプロ側もたとえてきた本筋の考え方だ。過去幾度も繰り返されてきた職業選択の自由など制度のの問題はさて置きたい。

 「ドラフト後の交渉で話を聞いて、入団を拒否する権利はある。ドラフト前の面談で条件面を話し合っては事前交渉になる。球団は選手評価や育成方針、設備などを説明する。清宮選手の場合なら、将来の大リーグ入り希望についての球団姿勢を聞く場だと思ってもらいたい」

 何も四角四面に物を言う気はない。ドラフト制度を考えた時、事前面談には精神に見合うかどうか、デリケートな問題があるということだ。

 メリットもある。選手は自身の疑問を聞き、要望を伝える場になる。球団は感触が悪いのであれば、入団拒否のリスクを回避し、他の選手を指名することもできる。プロ側も選手側も、互いに相手の心中を探る場だと言える。

 清宮は進路をプロ入りと語った9月22日の会見で「12球団OKか」との質問に「まだ、ちょっとわからない」と言葉を濁した。まだ見ぬ世界を前にあこがれや不安を抱いていることだろう。面談にはラグビー・トップリーグ、ヤマハ発動機監督の父・克幸さんも同席する。各球団と話し合うなかで意中の球団も絞られてくるだろう。

 真っ先に清宮1位を公表した阪神は球団本部で面談で提示する説明内容の整理に忙しい。ある球団幹部は「清宮選手ですから“異例の”と注目されますが、他のドラフト候補選手にも事前に面談は行っています。当然の説明や調査です」と話した。人気選手だからこその狂騒曲なのだろう。

 先の竹中事務局長は9月上旬、カナダ・サンダーベイで行われたU―18(18歳以下)ワールドカップで日本代表に同行していた。「清宮君は野球少年がそのまま大きくなったような純粋、純朴な青年でしたよ」

 愛称の「日本のベーブ・ルース」そのままの性格のようだ。誰もが応援したくなるスター性がある。運命のドラフトを前に、清宮の将来に幸あれと願った。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 清宮が在籍した調布シニアの安羅岡一樹監督とは同年代。和歌山リトル時代の1975年5月、同監督が所属していた調布リトルと対戦した思い出があり、清宮にも勝手に親近感を抱いている。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。大阪紙面でコラム『内田雅也の追球』を書いて11年目。

続きを表示

この記事のフォト

2017年9月30日のニュース