バット職人が語る鳥谷「打てなくても用具のせいにしない そんな選手は鳥谷さんぐらい」

[ 2017年9月9日 09:05 ]

セ・リーグ   阪神8―3DeNA ( 2017年9月8日    甲子園 )

ナイキ社の池田さん(左)と堀場さん
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 阪神・鳥谷の2000安打達成の瞬間を別々の場所で見届けた3人の男性は一様に喜んだ。大切なバットに関わる人たちだ。

 入団1年目からサポートしてきたナイキジャパン社にとっては歴史的な出来事と言っていい。1997年から本格的にプロ選手へのバット提供を開始し、過去にも稲葉篤紀、松井稼頭央、谷繁元信ら2000安打を達成した数多くの超一流選手たちが使用。その中で1本目から2000本まですべての安打をナイキ製バットで記録したのは今回の鳥谷が初めてだった。

 「初めてのことです。初安打から2000本まで…。そういう選手は今後も出てこない可能性が高いです」

 同社の担当者・池田貴政さん(36)は誇らしげだった。鳥谷とは同世代の1981年生まれ。名門の報徳学園―東海大では硬式野球部に籍を置いた。「オフには必ず東京まで1年のあいさつに来てくれます。そういう選手は鳥谷選手だけです」。スター街道を歩んできた一流打者としてではなく、人柄にほれ込んでいた。

 10年間近く鳥谷のバットを担当してきた堀場聡さん(54)にとっても特別な存在だ。「打てないときでも何かを言ってきたことは一度もありません。決して用具のせいにはしない。そんな選手も鳥谷さんぐらい。本当に凄い」。裏付けるデータも存在する。プロ14年間で使用したバットはわずか4種類。過去には20種類を超えるバットの型をつくった選手も存在したという。しかも大幅なモデルチェンジはなかった。

 唯一の例外が昨季だった。長打を期待されたことで新たな型を模索。堀場さんは「長打という言葉はなかったですが、長打を意識していることは依頼された形から分かりました」と一大挑戦だったことを明かした。大不振に陥り、7月には13年から使用しているミドルバランスの形に戻した。「自分が戻れるところを知っているということでしょう」。今季の“復活”は本来の打撃スタイルへ回帰した昨年7月からもう始まっていたのかもしれない。

 納品したバットの本数も今季の好調を物語っていた。実は1月の自主トレからシーズン終盤を迎えた9月まで今年はまだ18本しか手渡していない。一例を挙げれば、09年には年間通して54本を納品。異常な少なさを「折らないということは技術が上がっているともいえます」と強調した。

 ナイキ社から製作を請け負う富山県南砺市にあるトヤマ運動具製作所の代表取締役・水内信義氏(64)も感慨深く受け止めた。「鳥谷さんと話したことはないですが、大切に使ってくれていることは分かります」。1000本を作っても実際に納品できるのは20本程度だという。繊細な商売道具。今年で43年の職人歴を誇る。実は鳥谷が早大時代に使っていた別のメーカーのバットも製作していた。アマ時代からの縁は鳥谷も知らない事実。プロ野球の長い歴史を見ても一人の職人がアマ、プロを通じてバットを作り続け、かつ2000安打を達成したのも鳥谷のみで、運命的な“絆”を感じていた。

 「結果的にはそうなりましたね。今では私にとっての神様みたいな存在ですね」 

 最後に堀場氏も池田氏も「歴史に残る人と仕事ができて本当にうれしい」と声をそろえた。そう心から思わせたのは昔から変わらない鳥谷の人間性だろう。(山本 浩之)

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